5月16日「これは『開け』という意味である」

天を仰いで深く息をつき、その人に向かって「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。(マルコによる福音書7章34節)

耳が聞こえず舌の回らない人が、主イエスのもとに連れて来られた。言語障害のために人と言葉を十分に交わせないことは、なんと孤独であろう。自分の言葉が相手に通じない時、私たちは孤独である。

主イエスはこの人を群衆の中から連れ出し、一対一で向き合われた。そして、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。これは「おまじない」ではない。主イエスは彼の体に触れて、この人の苦しみをご自分の苦しみとされたのである。「彼は、わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8・17)。それから、主は「天を仰いで、深く息をつき」、この人のために父なる神に執り成し、祈られた。「深く息をつき」とは、人の病を担う主イエスの「うめき」である。主は今も、私たちのために「言葉に表せないうめきをもって」執り成してくださる聖霊の主である(ローマ8・26)。病める患部に手を置いて執り成す聖霊の主が、私たちの病を癒し、神との間に、そして人との間に交わりを築いてくださる。

今、主イエスは、この男にしたように、私たちを群衆から引き離してご自分に向き合わせる。そして、「エッファタ」と言って、私たちの聞く耳を開いてくださる。その時、私たちは何よりも先ず、主イエスの言葉を聴くようになる。

主の言葉は人間関係を損なう私たちの病を癒(いや)し、また、他者から受けた傷を癒す。その結果、私たちの舌は主に感謝し、主と語らうようになる。孤独と惨めさをかこっていた私たちは自由にされる。一対一で主に向き合うことが、他者との交わりを築く土台である。

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