5月1日「わたしについて来なさい」

わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。(マルコによる福音書1章17節)

主イエスはガリラヤ湖の岸辺で網を打っている漁師ペトロとアンデレに目を留め、彼らに今日の聖句を語った。福音は決断を求める。二人は「すぐに」網を捨てて従った。

大人であるペトロたちが、初めて会った主イエスの招きに、すぐに仕事を捨てて従ったというのは、非現実的である。彼らは従う前に、主イエスの福音を何度か聞いていたのではないか。また、仕事を捨てて従う前に、後に残す家族のことを考えたのではないか
。あるいは、主イエスについて行って良いのかと悩んだのではないか。主の招きに従うまでに、そうした時間の経過があったと思うのが当然である。

しかし、マルコによる福音書はそうした経過を省いて、彼らは主に招かれると「すぐに」従ったと語る。主イエスに従うまで何回話を聞いたかとか、従う前に家族のことを解決したかとか、そういうことを全然問題にしない。招きに従ったペトロたちの決断だけを語る。そして、その決断だけが大事なのである。主イエスの教えを十分に理解したか、自分はふさわしい人間か、後のことは心配ないか、等と考えたと思うが、ペトロたちはそういうことをすべて主に委ねて、従ったのである。主イエスには、ペトロたちに絶対的な信頼を持たせる力があった。

私たちキリスト者も主イエスを信じ、主に従う決心をしてバプテスマを受けるまでには、当然、それなりの求道期間があり、準備期間があった。しかし、そういうことは問題にされないのである。主の招きに応えて、主に従ったという決断だけが大切なのである。ペトロの新しい人生がこの時に始まったように、私たちの新しい人生も決断した時から始まった。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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