「敬天愛人」は聖書から? 「西郷どんとキリスト教」守部喜雅氏

 

セレブレーションOCC第3回首都圏宣教セミナー「信徒から見た『日本宣教の今日とこれから』」が先月28日、お茶の水クリスチャン・センターのチャペルで行われた。午後からは、元「クリスチャン新聞」編集部長の守部喜雅氏(78)が「西郷(せご)どんとキリスト教」と題して講演を行った。NHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公、西郷隆盛が当時受けたであろうキリスト教の影響について、およそ150人の教職者や信徒らが耳を傾けた。

守部喜雅氏=5月28日、お茶の水クリスチャン・センターのチャペルで

1868年の「鳥羽・伏見の戦い」で新政府軍の薩摩藩と旧幕府軍の会津藩がぶつかり合い、会津藩士の山本覚馬がそのとき捕らえられた。後に新島襄と結婚する八重の兄だ。

獄中で山本が西郷に手渡した「管見(かんけん)」には、三権分立や保険制度が書かれており、男女教育の平等まで訴えられていた。それを読んだ西郷は心の底から感動し、山本を釈放。やがて山本は京都府顧問に就き、西郷から、薩摩藩邸のあった京都の土地5000坪を譲り受けた。

75年、ゴードン宣教師から贈られた伝道書『天道溯原(てんどうそげん)』(注)を山本は読み、「この日本を立て直すためには、聖書を土台とした教育の場が必要だ」と新島に声をかけて、共に同志社を設立したという。

「このように西郷は当時、クリスチャンではなかったが、彼がいなければ、おそらく今の同志社はなかっただろう。主はクリスチャンでない人も用いる。主は確かに日本の歴史の中にも働いておられた」

西郷は多くの名言を残しているが、彼の代名詞とも言える「敬天愛人」の元となった言葉がある。

「天は人も我も同一に愛し給(たま)ふ故(ゆえ)、我を愛する心を以(もっ)て人を愛する也(なり)」

「これはまさに聖書の言葉そのものだ」と守部氏は言う。

西郷が実際に読んでいたものと同じという香港英華書院刊「新約聖書」(漢訳)が2007年、西郷南洲顕彰館での「敬天愛人と聖書」展に展示された。その館長だった高柳毅氏は明言する。

「西郷が変わったのは、聖書に出会ったから。『汝(なんじ)の敵を愛せ。迫害する者のために祈れ』という精神に生きたに違いない」

その展示会に訪れた男性から高柳前館長はこんな話を打ち明けられたという。「ひいおじいさんが青年だった頃、西郷さんがわが家へ来て聖書を教えてくれていたと、私の父から聞いたが、『この話は誰にも言うな』と言われた」

彼は続けて、「ひいおじいさんは与論島に西郷さんと一緒に伝道に行っていた」と話したというが、これには守部氏も半信半疑だった。しかし、この講演の前々日、沖縄でクリスチャン女性から、「与論島に行ったら『敬天愛人』と書かれたものが残っていた」と聞いたという。「伝聞だが、もしかしたらという期待はある」と守部氏。

質疑応答の中で男性が質問した。「西郷さんは横浜の教会でジェームズ・バラ宣教師から洗礼を受けたという説については、どう思うか」

「福岡在住の男性が高柳前館長に話したところでは、祖先の日記帳の中に、西郷さんは横浜の教会で宣教師から洗礼を受けたが、『これは内緒にしてほしい』と話し、そのお礼に豚を2匹贈呈したと書かれていたという。しかし、その日記帳は戦災で焼失したので、それを裏づける史料は残っていない」

「敬天愛人」を謳(うた)った西郷隆盛。今後、大河ドラマでそのキリスト教との関わりまで描かれるだろうか。

(注)『天道遡源』は、アメリカの宣教師ウィリアム・A・マーティンが中国語で著した書物。

守田 早生里

守田 早生里

日本ナザレン教団会員。社会問題をキリスト教の観点から取材。フリーライター歴10年。趣味はライフストーリーを聞くこと、食べること、読書、ドライブ。

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