【クリスチャンな日々】第21回 白と深緑とどっちが偉いか。 MARO

主の御名をあがめます。

MAROです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。またお会いできて嬉しいです。
今回もしばらくの時間、お相手させていただきます。よろしくお願いします。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)

少し涼しくなってきましたね。夜になると秋の虫の声がとても心地よいです。りーんころろろりんころろろりんりんりん。どうしてこうも美しい音色をこの虫たちが出せるのかと考えると、僕はどうしても、やっぱり神様ってすごいなーという結論に至ります。

進化論ではもしかして「虫が長い時間をかけて、少しずつ自分で美しい声を得たのだ」と考えるのかもしれません。認識論的に考えれば「虫の声自体は美しくも汚くもなく、それを美しいと感じるのは人間の感覚の故である」ということになるかもしれません。しかしクリスチャン的に考えるとこれはシンプルに「神様が虫たちにこの美しい声を与えたのだ」ということになります。

言い換えれば、この「秋の夜のシンフォニー」を演奏しているのは虫ではなく、神様だということです。虫たちは言わばそのための楽器です。ヴァイオリニストがヴァイオリンを通して美しいメロディを奏でるように、神様が虫を通して美しい「シンフォニー」を僕たちに届けてくれているというわけです。何というロマンチックなプレゼントでしょう。
さて、聖書もこれと同じです。「聖書を誰が書いたか」という問いは、実はキリスト教の中でも教派によって解釈が違うのですけれど、僕の属する「福音派」という教派では「聖書は神様が書いたのである」という解釈をします。しかしこれは神様が実際にペンを持って書いたというわけではありません。秋の虫という「楽器」を使って神様が演奏するように、モーセやパウロをはじめとする聖書記者たちという「ペン」を使って、神様は聖書を書いたのであるということです。

ヴァイオリンとピアノは違う音がしますし、同じヴァイオリンでも一つ一つ少しずつ音が違います。これと同じように「ペン」である聖書記者たちにも一人一人個性があります。神様はその個性を適材適所に用いて聖書を書きました。作曲家が「このパートはピアノ、このパートはヴァイオリン、このパートはオーボエ・・・」と楽器を使い分けるのと似ています。絵画でたとえるなら、たくさんの種類の絵の具を使い分けて一枚の絵を仕上げるのに似ています。

小学校や中学校での水彩画の授業を思い出してみますと、一番消費量の多い絵の具は「白」でした。しかし、では「白」は他の色よりも優れているのでしょうか。そんなことはありません。「白」は確かに色を淡くしたりぼやかしたりと、使う場面は多いですが、だからといって他の色よりも優れているわけではありません。多くのオーケストラで、ヴァイオリンやヴィオラなどの弦楽器は、トランペットやホルンなどの管楽器に比べて人数が多いですが、だからといって弦楽器が管楽器より優れているわけではありません。同じように聖書も、モーセやパウロは他の記者よりも多くの量を記しましたが、だからといって、モーセやパウロが他の記者よりも優れているわけではありません。

美術の時間に、僕にとって一番使用頻度の低かった絵の具は「深緑」でした。「深緑」はほぼ「黒」だと思っていたんです。それでほとんど使うこともなかったんですが、ある時、どうしても色が気に入らなくて絵の具の配合に悩んでいたときに、先生から「ちょっと深緑を足してごらん」と言われて、その通りにしてみましたら、とても美しい、お気に入りの色ができました。それ以来「深緑」は僕にとって「滅多に使わないけどいざという時には頼りになる切り札」のような色になりました。

画像:写真AC

世の中で今、注目を浴びてひっぱりだこの活躍をしている人を見て「それに比べて自分は・・・」と思ってしまう人は多いかもしれません。でも、そのひっぱりだこな人は「白」なだけです。あなたは「深緑」かもしれません。画家は自分の使うあらゆる絵の具を準備します。作曲家は自分の使うあらゆる楽器を用意します。たった1フレーズのために、普段は使わない珍しい楽器を用意することだってあるんです。神様も同じです。ご自分の計画のためにあらゆる準備を備えています。ですからこの世で生きているというだけで、それは作曲家からオーケストラの一員として呼ばれたのと同じことです。そこでヴァイオリンに対して引け目なんて感じなくていいんです。いえ、むしろ感じてはいけないんです。ヴァイオリンには絶対に出せない音が、あなたには出せるからこそ、あなたはそこに呼ばれた、即(すなわ)ちこの世に生まれたわけですから。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)

ただ単にこのことばを読んでも「きれいごと」に思えるかもしれませんが、そんなわけで、このことばは本当なんです。「深緑」がなくちゃ神様は困ってしまいます。むしろ「深緑」をこそ愛しているかもしれません。使われなくても、そこにいるだけで創造力の可能性を広げてくれる頼もしい奴。

さて、これから夕飯を作るのですが、その前にカイエンペッパーを買いに行きます。普段はあまり使わないのですが、コンビーフポテトを作るのにはこれがないと困るのです。カイエンペッパー愛してます。

それではまたいずれ。MARO でした。

主にありて。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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