横須賀・衣笠病院創立75周年記念礼拝 キリストの愛による医療奉仕をこれからも

日本医療伝道会が運営する衣笠病院(神奈川県横須賀市)は、今年8月、創立75周年を迎えた。それを記念する記念礼拝および記念オルガンコンサートが5日、同院本館2階にある「復興記念室」と呼ばれるチャペルで、コロナウイルス感染拡大防止のため人数を制限して開催された。記念礼拝と記念コンサートの様子は、YouTubeで同時配信された。

衣笠病院は、1947年に戦争で瓦礫(がれき)の町と化した横須賀で、日本基督教団衣笠病院として80の病床、医師4人を含む35人の職員で始められた。現在では、14の診療科・20床のホスピスを持つ251床の病院、120床の特別養護老人ホーム、50床の介護老人保健施設、訪問看護・居宅介護支援を行うケアセンター、在宅クリニック、健康管理センターを併設し、職員総数760人の衣笠病院グループに発展した。「小さな者たちへの愛」というキリスト教精神に従い、75年にわたって地域の健康を支えてきた。

記念礼拝では、讃美歌234番「昔、主イエスの」が歌われた後、同院チャプレン室長の大野高志氏が聖書(マタイによる福音書25章31〜46節)を朗読。続いて、同院評議員で牧師の佐藤千郎氏が登壇し、「上を仰いで、塵(ちり)の中から明日を見つける」と題してメッセージを語った。

佐藤千郎氏(YouTubeより)

その中で佐藤氏は、同院の歴史が決して平坦なものではなかったことを語った。特に、1960年に同院を襲った大火災では、新生児8人を含む16人が犠牲になった。病院の重大な過失で生じた大惨事は、世間から大きな非難を浴び、50年前に出された同院の25周年記念誌にも「ごうごうたる、冷たいジャーナリズムからの批判……」というマスコミからの強いバッシングを受けたことが記録されている。佐藤氏は、当時の大火災をこのように語った。

病院火災は、16人の尊いいのちと共に、建物も、病院に対する信頼も失い、苦労の中でそれぞれに積み上げてきたもの一切を無にしてしまう出来事でした。「この最も 小さい者のひとりにしなかった のは、わたしにしなかったことなのである」(マタイによる福音書25章45節)という言葉が現実となった出来事です。

75周年記念式の会場となっているチャペルは、火災後に再建されたもので、「復興記念室」と呼ばれ、正面には十字架と亡くなった人たちをあらわす16本の柱が立っている。佐藤氏は、「このチャペルで、創立と歴史を記念する意味を決して見過ごしてはならない」と力を込めた。

16本の柱の1本1本が、今もあの時、何が失われたかを物語り、真ん中に掲げられている十字架に、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイによる福音書27章46節)という主イエスの十字架上の叫びが重なると話す。その一方で、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが 思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章34節=新共同訳)というもう1つの主イエスの言葉が、冥福を祈るわたしたちの心を動かすと述べ、次のように話した。

 わたしたちの存在が塵となっても、労したことすべてが無に帰しても、その存在を否定せず肯定し、必死で生きた1日を労う神の赦(ゆる)しと神の愛が、このイエスの言葉に込められているからです。 75年の病院の歴史の節々に思いをめぐらしつつ、上を仰ぎ、神の言葉に聞く者のこころに届けられる神さまからの労(ねぎら)いの言葉です。

また、同院のチャペルは、罹災者を記念する鎮魂の場所であると同時に、神さまからの労いをいただく場所でもあると伝え、最後にこう結んだ。

16本の柱と、その真ん中に十字架が置かれている壁とに向き合っていると、助かるいのちを助けられなかった厳しく絶望的な状況の中でも、なお主を仰ぎ、「この最も小さい者のひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25章40節)というみ言葉を、新たな派遣の言葉として受け止め、無から有を生み出す神を信じて明日の歴史を刻んできた衣笠病院が思い出されます。そして、医療者に託された神様からの「ミッション」であるディアコニアを、希望を失わないで果たしていくその原点が、このチャペルにあることを、改めて思わされるのです。

当日の礼拝動画は、日本医療伝道会(衣笠グループ)のホームページから視聴できる。

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