近江兄弟社を再建した岩原侑氏、召天 84歳

 

「メンターム」で奇跡の復活を遂げた近江兄弟社元代表取締役の岩原侑(いわはら・すすむ)氏が18日午前4時39分、腎不全のため、滋賀県近江八幡市内の病院で召天した。84歳。前夜式は19日、告別式は20日に日本基督教団・近江八幡教会で執り行われた。喪主は妻の和恵(かずえ)さん。

岩原侑氏(写真:近江兄弟社提供)

1934年、新潟県燕市生まれ。新潟大学理学部数学科を卒業した後、58年、歴史の古さに惹(ひ)かれて、滋賀県近江八幡市にある近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)に数学教師として赴任。そこでキリスト教に接し、受洗に導かれる。60年に近江兄弟社に転属。62年、ヴォーリズ記念病院医事課を経て、74年、近江兄弟社管理部長に就任。

そのころ、「メンソレータム」で隆盛を誇った同社の業績が悪化。会社整理の申し立
てを行い、再建を模索している最中、米国メンソレータム社から契約解除の通告が
来、交渉のために渡米中、妻が死去する。そのような公私ともにどん底状態の中でも岩原氏は努力を続けた。

75年、債権者事務局の責任者の立場から、不退転の決意で同社代表取締役に就任。金融機関から「99%再起不可能、取引拒否」の宣告を受けながらも、創業者ヴォーリズの精神を振り返りつつ、率先して最前線に立つ覚悟を決めた。それまでの倒産要因の反対を実行することに徹し、組織を簡素化。役職の任期1年制、全員営業、少数精鋭、無借金経営など、数々の再建策を実行した。自ら、日々1万軒もの小売店まわりをして東奔西走し、再創業の道を歩む。そして、倒産時の負債37億を、90年に完全返済。自己資本比率72%の優良会社に変身させた。

財団法人(現・公益財団法人)近江兄弟社理事長、学校法人近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)理事長、近江オドエアーサービス株式会社代表取締役、社会福祉法人近江兄弟社地塩会理事長などを兼任し、近江八幡商工会議所会頭も務めた。

著書に『青い目の近江商人メレル・ヴォーリズ──創業者精神「信仰と商売の両立の実践」を受け継いで』(文芸社、1997年)、『青い目の近江商人ヴォーリズ外伝──「信仰と事業の両立」を果たした師ゆかりの地を歩いて』(同、2002年)、『企業を蘇生させる経営法』(日本経営合理化協会出版局、13年)などがある。

 






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