神さまが共におられる神秘(79)稲川圭三

楽園とは、十字架から下りずに永遠を見るところ

2016年11月20日 王であるキリスト
あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる
ルカ23:35~43

今日、「王であるキリスト」の祭日に、イエスさまの十字架のまわりで「救い」についてはっきりと二つの眼差しが現れました。

イエスさまと二人の犯罪人が十字架につけられていました。その足もとにはローマの兵士、もう少し外には議員たちがいて、さらにそのまわりで民衆が十字架を見ていました。

イエスさまに向かってまず議員たちが言います。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」(ルカ23:35)

この表現は三人称で書かれています。「彼は他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、まあ、自分を救うことですな」。さしずめこんな感じです。

兵士もイエスに近寄って、酸いぶどう酒を突きつけながら、「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言って侮辱しました(36~37節)。

犯罪人の一人もイエスを罵(ののし)って言います。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(39節)

議員も、兵士も、犯罪人の一人も、「十字架から降りて自分を救え」と言っています。

一方、もう一人の犯罪人はたしなめて言いました。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(40~41節)

そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました(42節)。

イエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われます(43節)。

アンドレア・マンテーニャ「磔刑図」(ルーブル美術館蔵)

ところで、イエスさまは十字架の上で何をなさっていたのでしょうか。今日の箇所の少し前に、自分を十字架につけようとする者たちに向かって、イエスさまはこう祈っておられます。

「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているのか知らないのです」(34節)

これは、「イエスを十字架につけるということが、どんなたいへんなことなのかを知らない」という意味になるでしょう。でも、もっと深い意味でイエスさまは、「自分の中に神さまいのちが共にあることをこの人たちは知らないのです。お赦しください」と祈られたのではないでしょうか。

「永遠のいのちの神さまが共におられる」と受け取って、自分にも人にもその真実を見いだして生きるところを「楽園」といい、「神の国」といいます。イエスさまは、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われたのです。この「今日」は、私たちに言われている今日です。

議員たち、兵士たち、犯罪人の一人にとって「救い」とは十字架から降りることでした。しかし、イエスさまは十字架から降りませんでした。私たちを「救うために」十字架から降りなかったのです。

議員、兵士、犯罪人の一人にとって「救い」とは、目の前の苦難を避けることです。しかし、イエスさまが私たちにお与えになる「救い」とは、永遠のいのちの神さまが私たち一人ひとりと一緒にいてくださっているという真実に出会うことです。

今日、「永遠」というお方が私たち一人ひとりの中に生きておられます。この「ぼろ家」をご自分の家として住んでくださる。そして、すべての人の中にお住まいになっておられる。このことを「そうだ」と受け取らせていただいて生きることが「救い」です。自分にも人にもその真実を認めて生きることが「救い」です。

イエスさまは何とか私たちにその「救い」と出会わせたいという尊い望みをもってご生涯を貫かれました。

「あなたは泣いているけども、永遠のいのちの神さまの家なのだよ」。人にさげすまされて見捨てられている人に向かって、「あなたは神さまがお住まいになっておられる神の家なんだよ」。悪霊に憑(つ)かれている者に、「あなたは悪霊の家なんかではなく神の家なんだよ」と教え、告げ、人を立ち上がらせて、いのちの根幹から立ち上がって満たされて生きるようにと励まして生きられたのがイエスさまです。

イエスさまはすでに楽園、神の国に入って生きておられたお方です。そこで、すでに楽園に入った者として十字架の上から祈られたのだと思います。

私たちは目に見える出来事の外側ばかりを見てしまいますが、その奥に永遠のいのちの神さまが共にいてくださる真実があります。そのことに目を向けて生きることができますように。

私たちにはできなくても、それをできる方がイエスさまです。そのお方が一緒に生きてくださるので、私たちもその眼差しの中に入れていただきます。

今日もイエスさまによって、イエスさまと共に、イエスさまの内に、自分にも人にも永遠のいのちの神さまがいらっしゃることを認めて生きる者になりますように、ご一緒に恵みを願いたいと思います。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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