神さまが共におられる神秘(77)稲川圭三

すべての人は、神によって生きている

2016年11月6日 年間第32主日
(典礼歴C年に合わせ3年前の説教の再録)
すべての人は神によって生きている
ルカ20:27~38

今日の箇所は「復活についての問答」という小見出しがついています。「復活」は、私たちの信仰の根幹です。しかし、「それはいったいどういうことですか」と人に問われると、ひとことで言い表すのはとても難しいと思われます。

このあいだ聖書の勉強会のとき、「信者でない方に『復活』をどういうふうに説明してよいのでしょうか」と言われた方がいました。みなさんも同じようにお感じになっておられるかもしれません。

「復活」をどう説明するのか。いろいろな言い方があるかもしれませんが、今日読まれた福音の中の言葉が復活のことをよく教えていると思います。それは結びの言葉です。

「すべての人は、神によって生きている」(ルカ20:38)

「復活」とはこのことだと思います。今、この世に生きている人も、すでにこの世のいのちを終えた方も、神によって生きている。このことだと思います。

人間の創造の物語を思い出してみてください。「主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)とあります。

私たちは土の塵で造られたものですが、神はその一人ひとりの中にご自分のいのちを吹き入れてくださいました。私たちの中に、主である神、「永遠のいのち」という方が一緒にいて生きてくださっています。

「すべての人は、神によって生きている」。自分の中にも、人の中にも、主なる神が共にいて生きてくださっていること。この真実を受け取って生きることを「復活」というのだと思います。

けれども私たちには、それを受け取って生きるのはすごく難しいことですね。けれど、本当の「復活」である方がおられますよ。

「わたしは復活であり、命である」(ヨハネ11:25)と言われた方、イエスさまです。イエスさまは、すべての人の中に神さまのいのちが共にあって、一緒に生きているという真実をはっきりと受け取って、見て、告げて、生きた方だからです。

「すべての人は、神によって生きている」。その真実を真実として受けて取って、出会って生きること。それが「復活」の意味だと思います。

すべての人の中に神さまのいのちがあって、一緒の向きで生きているのだと思いますよ。そのことを自分にも人にも認めて生きた方がイエスさまです。そのお方が今日、私たち一人ひとりと一緒にいてくださいます。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)

この言葉をそのままに受け取らせていただきたいと思います。

その「キリストによって」、その「キリストと共に」、その「キリストの内に」私たちも一緒の向きで生きて、自分の中にも人の中にも主である神さまが共にいてくださるその真実を「アーメン」と認めて生きるのが復活です。

だから私たちは今日、復活しなければならないことになります。

今日、イエスさまと一緒の眼差しで、一緒の向きで、一緒の体になって生きるために、イエスさまはご自分の体のパンを食べさせてくださる。そのために私たちはここに招かれました。

「これは私の体、食べなさい」と言って、今「これは私の体。あなたは私を食べて、私と一緒の向きで生きるいのちになる。そういう交わりに入るけれど、いいかい」と言われて、「はい」、「アーメン」と答えて一緒になるのが、聖体を受けることの意味だと思います。今日もイエスさまはパンを割いて私たちに渡すのです。

一緒に生きる。それが「復活」の意味だと思います。

私たちにとって「復活を信じる」とは具体的にはどういうことでしょうか。

私は思います。自分に嫌いな人がいたとして、その人に向かって「神さまがあなたと共におられます」と祈ること。一緒の向きでいてくださる主イエスと共に、「神さまがあなたと共におられます」と認め、「アーメン」すること。それが「復活を信じる」ということの意味だと思います。

自分を無視してくる人がいたとしたら、その人に向かって「神さまがあなたと共におられます」と祈ること。一緒の向きでいてくださる主イエスと共に祈ること。それが「復活を信じる」ということの意味だと思います。中身だと思います。

私たちが「復活を信じる」とは、私を愛して亡くなったあの方が今日私の中に共にいて、一緒の向きで生きてくださるその真実を認め、「アーメン」して、その人と一緒に誰かを愛すること。それが「復活を信じる」ということの意味だと思います。

一人ひとりの中に神さまが共にいて、「すべての人は、神によって生きている」というその真実を認め、アーメンして生きる者になりますように、ご一緒にお祈りをしましょう。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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