川上直哉訳著  P・T・フォーサイス 活けるキリスト(大頭眞一)【本のひろば.com】

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評者: 大頭眞一

不器用な人びと
〈評者〉大頭眞一


P・T・フォーサイス 活けるキリスト
『活けるキリスト』の現代的意味

川上直哉訳著
新書判・192頁・定価1210円・ヨベル
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フォーサイスを読もうと何度となくこころみたぼくである。今さらもう一冊の訳書が出たからと言って、手に取るつもりはなかった。
けれどもあの川上直哉から、書評を書くように指名があったとなると話は別だ。こころはずませて、というわけではないのだが、手に取ることになった。
かつて平野克己さんが、大頭眞一と焚き火を囲む仲間たちの「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇」を、「奇書」と呼んだことがある。だとしたら、この書もまちがいなく奇書と言える。なにせフォーサイス「活けるキリスト」の訳本なのに、187頁のうち活けるキリストは47頁だけ。その他の部分はおおむね、なぜフォーサイスが読みにくいのか、を論じているのだから。収録されている論文のひとつは、なんと、『フォーサイスの「わかりにくさ」』と題しているのだ! こんな本の売り方をするのは、まちがいなく不器用な人間である。そして川上直哉はぼくの知るかぎり、世界でもっとも不器用な人間のひとりである。
今までもずいぶん不器用に生きてきたようだし、今もまた石巻で、いまだ癒えぬ大震災の傷跡を不器用につくろっているのだ。そんな人間が不器用なフォーサイスに惹かれたのもむしろ自然なのだろう。今から100年ほど前に生きたこの人は「私はずいぶん前から『わかりにくい人』と言われている。」(60頁)と、自ら記す。確信犯である。その確信は、どうやら、神はわかりにくく、世界の窮状もまたわかりにくいというところから、来ているようだ。つまり、教会が語ることばは、わかりやすくなりすぎてはならないのだ。そのとき、教会はこの世の窮状とそこに働く神の力に目を閉じ、耳を塞いで、内なる分かりやすさのなかにしゃがみ込むことになるのだ。

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