「あなたのため」という呪い 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

occcuによるPixabayからの画像

「私たちはいつもあなたのことを思っています。そのためにどのようにしたらよいかを常に考えています。何とか良い方向に行ってほしいと思っています」。両親からのメールの最後によく書いてある言葉です。このように、私に対して「愛情深い」文面のメールを送ってくるのは両親だけです。

1対1のZoomで事業(算数・数学の個人指導)を展開しようとしていた私は、方向転換を迫られています。昨日、メールをしたある友人は、失業者つながりの人です。Wherebyという会議ツールをすすめてくださったかたの話をしたりしましたら、事業が大きくなれば経費として申告することで節税になるかもしれないけれども始めたばかりでどのくらい経費をかけていいか分からないですよね、とお書きになりました。ご自身が携帯のプランの見直しや保険の見直しをすることで支出がかなり抑えられた話もお書きくださいました。そこには「あなたのためを思って」という言葉はありませんでしたが、読んでいて胸が熱くなるような親切なメールでした。

昨日、ココナラで採譜(「耳コピ」。音から楽譜を起こすこと。私の特技のひとつです)の依頼をしてくださった方もそうです。その人は500円クーポンが手に入ると、私の「採譜をいたします」というサービスを500円で買ってくださるのです。その人は、私の実績になるようにせっせと依頼をくださるのでした。この人も「あなたのため」という言葉はいっさい書かれませんが、親切心にあふれています。

聖書に出てくるイエスは、愛という言葉を強調するよりは、行動で愛を実践した人だということです。たとえば目の見えない物乞いがいました。彼はイエスが通ると叫びます。叱られても叱られても叫びます。イエスは「あの男を呼んで来なさい」と言います。盲人は躍り上がってイエスのところに来ました。イエスは「何をしてほしいのか」と言います。盲人は「先生、目が見えるようになりたいのです」と言います。イエスは「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言います。盲人は、すぐに見えるようになり、イエスについていきました……。

この話に「愛」という言葉はいっさい出てきません。パウロは「愛は忍耐強い。愛は情け深い」と言い、ヨハネは「神は愛です」と言っています。確かにイエスも「神を愛しなさい。隣人を愛しなさい」そして「互いに愛し合いなさい」と言いました。しかし、基本的にイエスは言葉で「愛」を強調するより、行動で「愛」を示すタイプだったのです。たとえばイエスは「きみ、目が見えないんだね。たいへんだったでしょう。ぼくが来たからもう大丈夫だよ。見えるようになれ。それ!」とか言ったりするキャラではありませんでした。「愛」という言葉を強調するのはむしろ弟子なのです。

安冨歩(やすとみ・あゆみ)氏の講演録で読んだ話です。初めてハラスメントというものについて書かれた本の原題は「あなたのため」と言うそうです。「あなたのため」という言葉は、究極のハラスメントかもしれません。

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