4月11日は復活徹夜祭

 

今日4月11日は「復活の聖なる徹夜祭」です。カトリック教会などでは、1年で最大の祭儀を持つことになります。

ユダヤでは、日没が1日の始まり。「安息日」も、金曜日の日没から始まります。そして、土曜日の日没を迎えると、「安息日が終わって、週の初めの日」(マタイ28:1)となり、イエスが復活されます。

「徹夜祭」というのは、旧約における十字架の救いの予型(かたどり)である出エジプトの出発時の記述に従って守られてきた、過越祭における習慣です。

その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。(出エジプト12:42)

また、イエスもこう言っています。

「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」(ルカ12:35~37)

主が死からいのちへと移られたこの最も聖なる夜に、洗礼を受けて新しいいのちに移されたきょうだいたちと共に、主の復活の喜びにあふれる食卓に招かれ、聖体拝領(聖餐)にあずかるのです。

(写真:Robertgombos)

復活徹夜祭は第1部の「光の祭儀」から始められます。まず会衆は聖堂の外に用意された火のそばに集まります。司祭は、復活されたキリストのシンボルである新しい火を祝福してから、復活の大ろうそくにこの火をともします。そして、ろうそくを高く掲げながら「キリストの光」と歌い、会衆がそれに「神に感謝」と歌で応答しながら暗闇の中を聖堂に向かって進む「光の行列」を行います。会堂に入ると、会衆がそれぞれ持っているろうそくに火が移されていきます。復活ろうそくが朗読台のそばに立てられると、「声高らかに喜び歌え」と復活賛歌が歌われます。

第2部の「ことばの典礼」では、旧約から7箇所(創世記1章「天地の創造」、22章「アブラハム、イサクをささげる」、出エジプト記14章「葦の海の奇跡」、イザヤ書54章「新しい祝福」、55章「御言葉の力」、バルク3章「知恵の賛美」、エゼキエル36章「イスラエルの山々に向かって」)、新約から2箇所(ローマ6章「罪に死に、キリストに生きる」、マタイかマルコかルカから復活の箇所)、計9箇所が読まれ、聖書全体から救いの計画を味わうことができるようになっています(時間がかかるので、最低3箇所に省略されることもあります)。

福音朗読の後、司祭による説教があり、続いて洗礼式が行われます。キリスト教会における「過越」である「復活徹夜祭」にこそ洗礼を行うのが最もふさわしいとされているのです。

それに続いて、また会衆は復活ろうそくから火を互いのろうそくへと渡し合いながら「洗礼の約束の更新」をし、自分が洗礼を受けた日のことを思い起こして「信仰宣言」(使徒信条)を唱えます。司祭は会衆に祝福された水を振りかけ、会衆は「この水を受けた」(『典礼聖歌』96番)などを歌って自らの信仰を新たにします。

そして最後に聖体拝領が行われ、「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに。アレルヤ」と派遣の祝福がされると、会衆も「神に感謝。アレルヤ」と応えます。

ミサを終えて会堂を出る時、復活のタマゴをもらい、それぞれ家路につきます。

また4月11日はカート・ヴォネガットの命日でもあります。

その作品のスタイルを村上春樹は第1作『風の歌を聴け』(講談社)で真似ています。『パームサンデー──自伝的コラージュ』(早川書房)でヴォネガットは自分を「キリストを礼拝する不可知論者」と言い、また「キリストを愛する無神論者」とも呼んでいます。しかし、自分はクリスチャンでないと念押ししていました。ヴォネガットは、イエスの「山上の説教」、特に冒頭の八福の教えのファンで、作品の中でよくそのことに言及していました。『パームサンデー』では、「山上の説教は、決してブレたり消えてなくなったりしない慈悲深さを示している」と書いています。

 






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