【聖書の不思議あれこれ!】第7回 「異端」ってナニよ? その1 パダワン青木

かつて松山というところで丁稚奉公(でっちぼうこう)をしていた時のこと。その教会には多くのゲストが毎週のようにやってきました。インドやマレーシア、アメリカや韓国・・・。毎回「お国柄」というか、様々な文化に触れられるということで、あっという間の4年間だった気がします。

そんなゲストの中で、今でも忘れられない体験があります。それは確かインドから来られた牧師先生と交わった時のこと。彼が空港からスーツケースを引っ張って私たちの前に現れました。結構大きめの、そしてカッコいい形のスーツケースでした。そのことを先生に告げると「そう、これはサムソナイトなんだよ」と得意げでした。私はまじまじとそのスーツケースを見ました。なぜなら、よくよく見てみると、そのスーツケースのロゴにはこう書いてあったからです。

「Sansonite」

あれ?なんかモヤモヤしてきたぞ?よく読むと、「Sa-m-sonite(サムソナイト)」ではなく、「Sa-n-sonite(サンソナイト)」ではありませんか「m」ではなく「n」になっている!私は得意げな先生の顔を二度と見られなくなりました。だって、これはサムソナイトのバッタモン、つまり偽物だったからです。

古今東西を問わず、多くの「正統」派は、その権威にあやかろうとする「偽物」を生み出してしまいます。某国の警察は「●滅キャラ」をパクリました。でもそれを「オリジナルだ」と主張してはばかりません。もちろん「正統」がちゃんと認めて類似品を流布させることもあります。例えば、スター●ォーズのスピンオフ、「ローグ・●ン」や「ハン・●ロ」のように(前者は傑作でした。しかし後者は… まあこの話はやめておきましょう)。

いずれにせよ類似品が跋扈(ばっこ)するということが、「正統」の真正性を担保するという事態が発生しています。このような類似品が拡大していくとしたらどうでしょう?とうぜん「正統」派は自らの正統性をしっかりと証明しなければならなくなります。方法は二つです。

一つは、類似物と自分たちとの差異を強調し、「あの部分が私たちとは違っています」と主張することです。しかしこれだけでは、単に「違う」ということしか示せません。例えば先ほどのスーツケースのように「サムソナイト」であろうと「サンソナイト」であろうと、商品として出回ると言う意味では、消費者の選択の結果が売り上げに反映されるわけですから、違いを強調するだけでは、正統性の証明になりません。だからもう一つのことをするのです。それは、自らを「正典化」することです。

「正典」とは、端的に言うと「誰がなんて言おうと、これがオリジナル!」と主張することです。「ア・プリオリにこれが基準」ってことです。一方、私たちはこの世に生まれて、ア・プリオリにすべての事を理解し把握しているわけではありません。むしろ五感を通して、体験的に物事を学んでいきます。すると、「正典」というものも「そう考えるべきだ」というアイデアを後から植え付けられることで受け入れていく、というプロセスを通ります。

何度も例に出してしまいますが、私の大好きなスター●ォーズでは、この「正典」を巡る論争が常に絶えませんでした。ご存知のようにこのシリーズはジョージ・ルーカスという稀代の映画監督が生み出した物語です。最初にエピソード4・5・6が作られ、後に1・2・3が生まれました。言うなら、最初の4・5・6が新約聖書で、1・2・3が旧約聖書のようにコアなファンからは思われています。しかし2015年、ルーカスはこのシリーズに関するすべての権利を、ネズミをモチーフにした会社に売り飛ばしてしまいます。そして7・8・9作を製作したのです。これにファンは怒りました。しかもルーカス抜きで続編(シークエル)を始めたからです。

「俺たちが知っているスター●ォーズはこれじゃない!」「ルーカス抜きのシリーズなんて邪道だ!」と、人びとは新シリーズをまさに「異端」視し、旧来のルーカス印6作を「正典化」したのです。ネズミ会社(●ィズニー)は何とかこの差異を埋めようとして、旧作の登場人物をそのまま登場させました。でもそれは、火に油を注ぐことになりました。「俺たちが知っているルークは、そんなことしない!」「なんで○○を殺すんだ!」と、それはもう、大変な盛り上がり?いえいえ、炎上でした(もちろんネズミ会社はそう言うことも含めて、興行成績を上げようと画策したのですが…)。

しかしこのようにシークエルをボロカスに言う人たちは、かつて4・5・6と1・2・3との違いについても非難の応酬をしていました。1970年代から80年代の旧シリーズと、1990年代から2000年代にかけてのプリクエル(前日譚)の違いを声高に叫び、前者を「正典」と訴える人がいました。一方、同じルーカスが作った作品なんだから6作まとめて「正典」とすべきだ、と主張する人もいました。その論争は、7・8・9が生まれてさらに激化しました。各々がそれぞれお気に入りの「正典」を持ちだして、かみ合わない議論(ヲタ話はこれがたまらないそうですが…)をああでもない、こうでもないと繰り返してきたのです。

この、一見不毛な議論によって何が生まれたでしょう?実は、「正典」を巡る争いによって、「正典」の余剰物、つまり「異端」が生まれたのです。「異端」とは、異端そのもので存在することはできません。「正典」があって、それとの距離感によって「異端」の烙印が押されるのです。何が言いたいのでしょうか? そう。「正典」とは、「言ったもん勝ち」だということです。(おお!こんなことを言う牧師はやはり「異端」なのでしょうか?(笑))

あれ?キリスト教の話をしているのに、一向にそんな流れになりませんね?従来の基準からすると、このコラムも「異端」ですか? 次回は、これらのことを踏まえて、真面目にキリスト教史からひもといていきます。お楽しみに!

パダワン青木

パダワン青木

青木保憲(あおき・やすのり) 1968年愛知県生まれ。 愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。いまだジェダイマスターになることを夢見るパダワン。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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