「推し」を推す術 向井真人 【宗教リテラシー向上委員会】

あなたには「推し」がいるだろうか。「推し」とは、「推すこと。特に『応援していること』『ファンであること』をいう若者言葉」。マンガやアニメのキャラクター、芸能人などに対して使う言葉のようだ。そうなると歴史上の人物、特に聖人たちや高僧方に対して「私の推しは〇〇上人」と認定することは品位を貶めているようでもあり、畏れ多いことでもある。それでも祖師方を推したい。

「推し」という言葉の使用は不適切かもしれないが、一般の方へ宗教家の気持ちが伝わりやすいかもしれない。大切だとお気持ちを表明したい。礼拝をしたい。言行録を調べたい……。程度の差や行為の種類はあれども、宗教家たちは先人に対する「推し」の精神にあふれている。だからこそ、日本の寺院では、仏教のはじまりとなった人、お釈迦さまを推してさまざまなことを行う。

具体的には、誕生日を祝う、亡くなられた日にご遺徳を偲ぶ、お悟りを得られた日にあやかって教えを学ぶ――これら三つを「三仏忌」という。

日本仏教ではお釈迦さまの命日を2月15日としている。ご縁を結んでいただくために、新暦と旧暦のあいだの約1カ月のうちに「涅槃会」または「常楽会」といわれる法要を営む寺院が多い。この法要では、お釈迦さまが亡くなったと聞いて、人々、仏、動物や虫たちが集まっている風景を描いた仏教絵画「涅槃図」を飾る。図・絵画ではあるが「涅槃像」ともいう。涅槃図をただの絵画として扱うのではなくて、拝むことを目的として用意するのだ。

それはまるで「推し」のポスターを壁に貼ったり、アクリルスタンドを飾ったりするのに似ているかもしれない。なぜならばそれらの行為とは、常に「推し」と一緒にいることを期待したり、推しから見られている設定を自身に課すことでもあるのだから。鑑賞物として眺めるというよりは、主体性をもった行為の主役として、または行為の対象として活用されるのである。涅槃図であれば掛けて眺めるだけではなく、お釈迦さま80年のご生涯から何ものかを自身の人生に汲み取ることが求められるかもしれない。

産後の肥立ちが悪く、お釈迦さまを産んだ母親は生後7日で亡くなってしまう。「なぜ母親はいないのか?」彼自身悩んだかもしれない。自分を責めたかもしれない。富める者として生まれたとしても、悩みや苦しみは尽きず、お釈迦さまは若くして出家。当時現地の真理の探索方法である仙人への弟子となり修行を続けるも見切りをつけ、苦行を脱し、35歳で世の理に気づく。80歳でお亡くなりになるまで伝道布教を続けた。

晩年、このようなことを仰った。「私は人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。例えば古ぼけた車が革ひもの助けによりやっと動いていくように。おそらく私の体も革ひもの助けにより保っているのだ」。それでも老体に鞭打って、仲間とともに、足を動かして、彼は自分の人生を歩き続け、働き続けた。そのお姿とは人生100年時代といわれる現代の私たちに迫るものがあると言えないだろうか。老齢の身になっても死ぬまで生涯現役を貫く姿やその道のり、ここが私の一番推したいポイントである。

聖人や上人を自身の身に引きつけて考える。いのちを引き継ごうとする行為とは、畏れ多いことだ。やめろと言う人もいるかもしれない。しかし、この恵みを自覚して、感謝したい。賛嘆したいのだ。手を合わせる。香を手向ける。拝む。祈りたいと思わずにはいられない。

向井真人(臨済宗陽岳寺副住職)
 むかい・まひと 1985年東京都生まれ。大学卒業後、鎌倉にある臨済宗円覚寺の専門道場に掛搭。2010年より現職。2015年より毎年、お寺や仏教をテーマにしたボードゲームを製作。『檀家-DANKA-』『浄土双六ペーパークラフト』ほか多数。

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