抱樸「希望のまちプロジェクト」に寄せられる期待 各地でPR活動

NPO法人抱樸(奥田知志理事長)主催によるセミナー「みんなでつくる。希望のまち。」(明治学院大学キリスト教研究所後援)が11月28日、明治学院大学白金キャンパス(東京都港区)で開かれた。理事長の奥田氏のほか、村木厚子(元厚生労働事務次官)、手塚貴晴・由比(手塚建築研究所代表)、永井玲衣(哲学研究者)、雨宮処凛(作家・活動家)、高橋亜美(ゆずりは所長)、上田紀行(東京工業大学 副学長)、永野茂洋(明治学院大学副学長)、渡辺祐子(明治学院大学教授)の各氏がゲストとして登壇した。

同セミナーは「希望のまちプロジェクト」事業の一環で、福岡県北九州市を中心にさまざまな機能を有する複合型社会福祉施設と、そこを拠点とした「まち」のコンセプトをPRし、支援の輪を広げることを目的に各地で開催している。

同プロジェクトで社会福祉施設の建設に携わる手塚貴晴・由比夫妻は、奥田氏から提案された「みんながデートに来るような、お洒落な場所にしてほしい」との意見を尊重し、誰にとっても居心地の良い空間の設計に現在取り組んでいるという。由比氏は中でも「お互いに迷惑をかけられる居場所」を意識して設計していると紹介。

ビデオ映像で参加した青野慶久氏(サイボウズ代表取締役)は、「希望のまちプロジェクト」の趣旨に賛意を示し、「現代の社会システムではどうしても取り残される人たちがいる。その中でどうすれば全員が家族のように過ごすことができるのか真剣に考えるべき」と語った。

「希望のまちプロジェクト」は理想の街を建設するだけではなく、そこにあらゆる人を招くこともまた重要な活動としている。奥田氏と共著も出版している雨宮氏は、作家活動と並行して16年間、困窮者支援を続けてきた経験から、貧困の特徴として「若年化が進み、女性の割合が増えている」と指摘。特に人が安心して失敗し、弱さで結ばれる環境の必要性を訴えた。

次に登壇した哲学者の永井氏は自身の半生を振り返り、「人生で一番聞いた言葉は何か?」と聴衆に投げかけた。さまざまな意見が交わされる中、永井氏は「そういうもんだよ」「なんか良いことないかな」だったという。そこには一種の諦めや運命論を感じさせるものがある。他方、永井氏が抱樸に関わるようになって最も耳にする言葉は「なんとかなる」だったという。そこには誰にでも幸せになるチャンスはあるし、人生はいつからでもやり直すことができるという希望のメッセージがある。ここから「希望のまち」とは、皆でもがきながら作り出す、誰もが「なんとかなる」プロジェクトなのではないかと語った。

児童養護施設や里親家庭から離れた若者たちの支援する「アフターケア相談所ゆずりは」代表の高橋氏は、相談にやってくる子どもたちの共通点として「安心した幼少期を過ごせなかった」ことを挙げ、抱樸のように「点や線ではなく丸ごと」の支援が重要であると述べた。

「絶望を知るから希望を語ることができる」ことを奥田氏から学んだという上田氏は、支援者は誰かを救うことがその人だけではなく、それを見ている人にも希望を与えることを忘れてはならないと述べ、「『希望のまちプロジェクト』は人間のダイナミズムをどんどん広げていく」とし、今後の活動に期待を寄せた。

明治学院大学副学長の永野氏は2015年から開始された「内なる国際化プロジェクト」(明治学院大学)を紹介しながら、人種や言語を超えた共同体形成の必要性を訴えた。

続いて講演した奥田氏は、まず「希望のまち」は「まち」であり「支援団体」ではないと強調し、「支援」には「あなたはこのままではダメだ」というメッセージ性が含まれていることを指摘。また抱樸がこれまで展開してきた事業を「一方的な解決型支援ではなく、一緒に生きる・つながる程度を意識した伴走型支援」と紹介した上で、「死なない程度に安心して失敗できる」環境の重要性を説いた。また日本の社会的孤立についても言及。奥田氏はOECD(経済協力開発機構)のデータを参照し、アメリカの孤立率が3.1%に対し、日本が15.3%であることから、「希望のまち」が人々のホームのような存在でありたいと展望を語った。

一貫して社会支援が日常の延長であり、誰もが「助けて」を言える共同体を形作ることの大切さを確認した同セミナー。支援は必ずしも一方的なものではなく、双方が成長しあえる関係性において発展することも繰り返し語られた。

プロジェクトの詳細は抱樸の公式サイト(https://www.houboku.net/pj/kibou/)から。また、YouTube「ほうぼくチャンネル」では続けて支援者らによる対談やプロジェクトの進捗を報告する動画がアップされている。

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