〝変わるものと変わらないもの〟 日本基督教団東中野教会 コロナ禍めぐりオンラインでセミナー 越川弘英×松谷信司×浦上充

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日本基督教団東中野教会は9月18日、対面で行う従来型の教会セミナーに代えて、初の試みとしてオンライン(全編YouTube)で開催した。テーマは、「新型コロナを通して見えてきたもの――変わるものと変わらないもの」。講師として招かれた越川弘英氏(同志社大学キリスト教文化センター教授)=写真左上、本紙編集長の松谷信司=写真左下、東中野教会牧師の浦上充氏=写真右下=によるパネルディスカッションから、質疑応答の一部を抜粋して収録する。

新しい礼拝のあり方をめぐる対立?

浦上 対面礼拝を守っている方とオンラインで礼拝を受けている方とでは、やはり信仰の持ち方が変わってくると感じている方がいらっしゃいます。また、徐々にコロナ禍が収まってくると、元の礼拝に戻ろうとか、元の教会の姿に戻ろうという方も教会の中に出てくるでしょうし、逆にもう戻らない、もう戻せないと考えて、これから新しい形を求めていこうという方々も出てくるでしょう。そのような方々が教会の中で対立するのではないかという心配があるとの話もありました。また、新しいことを求める人は古い人間から見れば危うく見えるという話もうかがえたので、この両者が共存する道はどこにあるのか、あるいは何を配慮すればいいのか教えてほしいという質問がありました。

越川 対立というのはかなりきつい言葉だと思いますが、「差ができる」「乖離していく」など、いろいろな傾向があらわになってくるという契機になるとは思います。これまでのような対面型の礼拝で、実はいろいろ問題点や不便を感じていた人たちが、今回オンラインというものを経験する中で、意識化されてきたという側面があると思うんです。

例えば、礼拝の時間一つとっても、教会は非常に時間がルーズだと。1時間だったり1時間15分だったり、場合によっては1時間半になってしまったり。役員会も、お昼から始まって夕方までやっていたり。オンラインだと礼拝の途中でトイレに行くことができると真面目に発言される方がいたという話を聞いて、確かに高齢者の方にとっては本当に切実な問題だと思うんです。

特に私が気になっているのは、やはり半年、1年ないし1年半を経て、おそらく皆さんの意識も変わると思うので、そうした継続的なアンケートのような調査をしていくことがとても大事なことではないかと思います。その中で、今後どうするかという機会を持ったりする中で、基本的な立場は譲れないという点はありつつも、可能な限りの合意を形成していき、新しい礼拝の形や、あるいは従来通りに留まるのであれば、それを一度みんなで確認するということが大事なのではないかと思います。

教会というのは、一致するということをとても大事にするのですが、人間というのは本来バラバラな側面もあるわけで、それを前提にした上で、ここはみんなで共有しようという最低限のところと、その次の部分とか、分けて考える必要があるのかなと思います。

松谷 たとえが正しいかどうか分かりませんが、私は不登校の問題に置き換えて考えています。今まではやはり、特定の学校の○○先生の教室へ朝何時に来ないと授業を受けたことにはならないという時代が長くありましたが、もはやそれだけでは対応し切れません。週に1日だけ来るとか、あるいは保健室に登校するとか、オンラインで家にいながら授業に出るとか。これはコロナ禍にかかわらず、集団生活が苦手だとか、何かしら事情があって教室に来られないという子どもたちが、従来の授業とは違う形で学びができる。そういう多様な授業の受け方を認めていこうという流れが、もう当たり前になっています。

学校の授業と礼拝はイコールではないと思いますが、今まで特定の時間、特定の空間に縛られていた礼拝というものが、それ以外の礼拝の守り方もあるのではないかと気づけたと思うんです。それに対して、この礼拝は「正しい」とか、「保健室登校なんて認められない」といったことを教会が言うのか。不登校だった子が卒業の認定資格を取って「大検」を受けるというようなことが、礼拝の中でもあり得る。そういう多様な礼拝のあり方、参与の仕方、受け方に、教会がどこまで道を開いていくのかということが問われていると思いますし、リアルな教会や同じ空間には来られないけれども、いつも礼拝には参加して、あるいは献金もしてくださるという信徒のあり方はあってもいいのではないかと思います。

その中で、教室に通っている生徒と保健室登校の生徒と、自宅でいわゆる「不登校」になっている生徒が「対立」するかというと、もちろん「違い」はあれど同じ学びを得るという意味では共通ですし、たまに教室の友だちが保健室に行って雑談したり、一緒に遊んだり、保健室からたまに教室に来て、今日は気分が乗ったから教室で、ということは学校現場では日常的に起こっているはずです。

浦上 これまで、東中野教会にも「他住会員」という枠組みの信徒の方々がいらっしゃいました。実際に信徒籍は東中野教会に置いたまま、仕事や年齢、家庭の事情などの理由で礼拝には来られないという方です。今回、オンラインで礼拝を配信するようになって、そのような方々も礼拝に参加できるようになったんです。確かに今までは、もう今生の別れのようなあいさつを教会でして、「これからは『他住会員』として遠方より献金を送り、祈りをもって教会を支えていきます。次はみ国で会いましょう」というような事例がリアルにあったんです。対面型の礼拝しかしていなかった時期は、「そうですか。残念ですが、またこちらに来られる機会がありましたら、お顔を見せてくださいね。祈っています」というぐらいしかお答えできなかったところが、今では可能性が大きく広がっています。これをコロナ後に再び、オンラインはやめて対面だけに戻そうとしていくと、そのような方々の可能性を教会側が消してしまうということにもなるのかなと思っています。

やはりそのような方々が声を出しやすく、教会の中でもしっかり覚えて、教会仲間としてつながっていきつつ教会形成をする必要があると感じました。

問われる「礼拝の当事者意識」

浦上 もう一つ。アンケートの中で、「オンラインならどの教会の礼拝にも参加できる。その環境下で、東中野教会の教会員であることはどういうことなのかを考える機会が多くなったというコメントをいただいています。対面型の礼拝ですと、教会に集まって週報ボックスに名前があるとか、教会員名簿に名前があるとか、あるいは選挙の通知が来るとか、総会の連絡が来るということで、自分も教会員だという意識が生まれていたと思うのですが、これが今後どう変わっていくのか、つかむのがよりたいへんになってくるとも感じていますが、この辺りはどう思われるでしょうか?

越川 このご意見はたいへん素晴らしいものだと思います。可能であれば他の皆さんも、この方が提起している課題、発想を共有されて、自分はどう考えるかということを問い直す必要があると思います。

たいへん失礼ですが、多くの教会ではやはり説教を聞くだけとか、指示に従って祈ったり賛美したりという受け身性がどうしても高かったという面があって、礼拝というのはもっと一人ひとりの信徒が積極的に応答したり、当事者意識を持つ行為だということを大事にしようという意味も込めて、私は最近、「礼拝の当事者意識」という言葉を使い始めています。

自分自身を振り返っても、実際にある教会との出会いというのは、かなり偶発的なもので――逆の視点から見ると神様の恵みなのですが――、属した後になって、自分が今いる位置とか、あるいは自分が所属してる場、教会というものをきちんと考えるということが本当は必要だと思うんですね。

コロナ禍という影響の下ではあるでしょうが、自分自身がこの教会の教会員であるということの意味を考えるようになったということは大事なことだと思います。逆に言うと、教会員である私がこの教会をどう思うかとか、もっと積極的に言えば教会がどうあってほしいかとか、そのために自分がどういうことができるかというところまで展開していけば、とても豊かな未来を築く、そうした発想の「根っこ」になるのではないかと思います。そういう意味で当事者意識というのは、教会形成にとって非常に大事なものなので、もっとこの点は考えていただき、意見を出し合ってもらうということが必要です。

「教会が何か与えられるものがあるか」という質問もあったのですが、私はずばり、このアイデンティティの問題とか、存在を認めてくれる場としての教会という側面が、特に今の日本ではとても求められているものだと思います。こうしたことを含めて、ある特定の教会員であるということはどういうことなのか。少し言葉を変えて言えば、そこに所属し与えられているアイデンティティというのは一体何なのか、他の人がそれをどう思っているのかということを、意見交換していくことは、教会形成の上だけでなく、今日、私たちがこの世界の中で生きていくということを考えるときにも、とても重要な根本的な問いになるでしょうし、かつ教会がどういう形成されていけばいいのか、自分たちが教会に何を期待していけばいいのかということにつながっていく問題だと思います。

浦上 存在を与えてくれる場所としての教会の姿というのは、私も改めて気づかされました。こうした気づきが、これからの長いスパンで、教会のあり方や、キリスト教のあり方、信仰のあり方を考える出発点にもなるのかなと思っています。

(全文は雑誌「Ministry」49号に掲載。なお、セミナーの模様は同教会セミナー委員会の編集によりブックレットとして印刷・頒布された)

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