特集 「敬老の日」座談会 〝老い〟の意味と教会の役割 長沢道子×佐光紀子×佐々木炎

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 高齢化する現代社会において、〝老い〟はネガティブなものとして捉えられがちである。それは教会においても例外ではない。しかし、「人生100年時代」を豊かに過ごすためには、より積極的に〝老い〟と向き合う必要がある。通学や仕事のかたわら家族の介護やケアを担う「ヤングケアラー」の問題は、「自助」の限界を露わにした。地域福祉との接点を失って久しい教会は、何を求められているのか。「敬老の日」を前に、教会だからこそ担える機能と役割について、介護経験を持つ当事者の視点から考える。

【出席者プロフィール】

長沢道子 ながさわ・みちこ 牧ノ原やまばと学園理事長。国際基督教大学卒業後、東レや恵泉女学園高校勤務を経て、1977年、長沢巌(榛原教会牧師、牧ノ原やまばと学園創設者)と結婚。重い障害者数名を受け入れ共に暮らし、昼間は小規模作業所職員として働く。1983年、夫が髄膜腫摘出手術不成功により重度心身障害者に。3年後、退任した夫に代わり理事長に選ばれ、今に至る。2007年に夫が逝去するまで、介護と仕事の生活が続いた。

佐光紀子 さこう・のりこ 翻訳者・家事研究家。40カ国以上の文化も国籍も異なる会衆の集う東京ユニオン教会会員。重曹などの自然素材を使ったナチュラル・クリーニングを提唱する一方で、家事の国際比較に関心を持ち、50代で大学院に入り、日本の家事の特異性を研究。著書に『家事のしすぎが日本を滅ぼす』(光文社)、『なぜ妻は『手伝う』と怒るのか』(平凡社)など。

佐々木炎 ささき・ほのお ホッとスペース中原理事長。聖隷福祉ヘルパー学園、日本聖契神学校、日本社会事業学校専修科卒業。1998年、NPO法人「ホッとスペース中原」を設立し、現在、高齢者支援、障碍者支援、子育て支援、児童支援、権利擁護事業等を行い、地域相互扶助共同体の代表として、主任介護支援専門員として奮闘する。東京基督教大学講師、読売理工医療福祉専門学校講師、牧ノ原やまばと学園理事、愛隣会理事。

対談する(左から時計回りで)佐々木、長沢、佐光の3氏

家族でも施設でもない教会という選択肢

長沢 社会福祉法人牧ノ原やまばと学園は、高齢者福祉、障害者福祉に関わり、職員数は現在470人ほどです。特別養護老人ホーム(特養)を作ったのは1981年で、ちょうど40年前でした。当時の高齢化率は9%ぐらいでしたが、今後の超高齢社会を予想し、また当時の利用者の将来や職員の方々の老後を考えて特養を開設したわけです。今日、その判断は適切だったと思います。

40年前は、施設のイメージが悪くて、「『うば捨て山』は要らない」というわけで、行く先々で反対され、土地の確保は二転三転しました。町長が斡旋してくれて、ようやく建設できたのですが、33年後、新しい場所へ移ることになったときは、地域の皆さんから「引っ越さないでください」「ぜひここに居てください」と言われました。かつてと違って、「高齢者施設は、自分たちのためにも必要な施設」になったわけです。

佐光 仕事としてではありませんが、所属する教会で高齢者とさまざまな関わりがあります。英語を母語にする教会員が多いのですが、コロナ禍以降、教会に集まることができない状況で、日本語しか話せない状況を強いられると、精神的負担も大きくなると考え、孤立化軽減のために週に3回オンライン(Zoom)による「朝会」を始めました。もう17カ月続いています。高齢の方々を中心にセイフティーネットを作る取り組みをしているのですが、さまざまな活動がオンラインに移行していく中で、高齢者の方々へのサポートをどうするかという課題に関わってきたと言えます。

もう一つは、6年ほど前にご家族のいない教会員が自宅で倒れ、病院から教会に連絡が来たのを機に、当時ほとんど面識のなかった方が施設に入る手続きや金銭管理などをお手伝いするようになりました。自分の親も特養でお世話になったり、癌で自宅療養していたりしているのですが、他人の面倒を見るのとではかなり違うなと感じました。

「感情のずれ」克服する難しさ

佐々木 どんな違いがありますか? 身内の介護と施設の介護を体験している長沢さんはいかがですか?

長沢 私が夫の介護を始めたのは1983年です。3年間は介護に専念できましたが、理事長になってからは、介護しながら仕事、という毎日で、何か用がある時は、必ず看護師かヘルパーに来てもらって出かけました。夜も昼もないような生活が、夫が召される2007年まで、ずっと続いたわけです。しかし、世間一般でよく言われていた、「介護生活は地獄」といった思いは、私はあまり感じませんでした。夜も何度か起きなければならず、肉体的には確かにたいへんでしたが、「介護地獄」といった思いにならなかったのは、多くの人に助けられたことや、仕事があったため、そして何よりも、夫への感謝があったからですね。私は夫に非常にお世話になったにもかかわらず、わがままだったという悔い改めの思いもあり、今度は私が見てあげなければという気持ちがありました。「介護」をどれだけ進んで気持ちよく果たせるかというと、やっぱり元気なころの関係性が大きいと思います。

施設での介護は、それまで何の関係もなかった方のお世話をすることなので、家族に対するような思いを抱くことは難しい。仕事として相手を受け止め、必要な助けをしていくことになります。

佐光 家族ならではの難しさもあると思います。例えば私が家事を実家で手伝っても、母のやり方を踏襲して母の思う通りにできないと、母は手伝ってもらったと思えない。一方、子どもの立場からは「やってあげている」と思っているので、どうしてもかみ合いません。そういう感情のずれは家族の方があると思います。父を施設にお願いする時も、自分が楽になっては申し訳ないとか、過去のいろいろな思いが交錯して、母はなかなか割り切れなかったようです。

佐々木 身内だと感情の歴史もいろいろありますよね。

佐光 そうなんです。でも第三者の場合は、そもそも私たちが面倒を見るという選択肢はないので、施設が引き受けてくださることに感謝しかありません。最初に感謝があるせいか、施設との関係も良好ですし、腹を割って話もできます。

イギリスでは牧師の地位が確立されているので、人生の重大局面に遭遇した時、まずは牧師に相談しなさいと言われます。だから、家族や職員だけではどうしようもなくなると牧師に連絡して説得してもらうんです。いざとなったら牧師に、と思いながら介護をしているので、抱えずに済むんですね。

佐々木 たくさんの意見があって、その中から選択できるという意味でも、教会の役割は大きいですね。家族に言われたら「わがまま」と思ってしまうことも、教会で分担できる人がいたり。そういうことができるのは教会の力ですね。核家族の場合、高齢者である親との関係は対立しがちですが、そこに第三者がいて意見を聞けるのは、大事なことかもしれません。

世代間を「対立構図」ではなく

佐々木 心理学者の波多野完治が、「老いて初めて見える人生の真髄がある」と指摘しています。老いることのたいへんさとそこから見えるものもあるのではないかと思うのですが……。

佐光 私の教会では、若い人と対等の立場で自分のできることを探す高齢者が多い印象です。この間も、新任の若い牧師がお互い同士をよく知ってもらいたいと、教会員にインタビューして、ポッドキャストを始めたんです。そうしたら、おそらくポッドキャストが何かもよく分かっていないであろう94歳の方が、話すことならできるよと手を挙げました。

社会や教会の中で、自分のできそうなことを見つけて、そこに手を差し伸べる。そうなると、周囲も「何かあったら話を聞いてみよう」というように、良い循環が生まれていく。私も今までは子育てに追われていて、社会にも教会にもお世話になるばかりだったわけですが、これからは少しずつできることに手をあげて、還元していく時期に入ったのかなと感じています。

一般的には引退すると、自身の生活や趣味へと意識が向きがちですが、本当はこれから社会に返していくものがあることで、自分の人生も豊かになっていくのではないかと思います。

佐々木 それはとても感じますね。他者のためにできることを探しながら、助けてもらいながら自身も豊かになっていく。老いてくるからこそ、「一人で何でもがんばるぞ!」ではなく、みんなと一緒によくなっていくし、いいものもできてくると思います。

佐光 歳を重ねてITなどが分からなくなってくると、自分だけが分からないのではないかと不安になるものの、言い出せず、こもっていってしまいがちです。そういう意味では、私たちの世代が勉強会を開いて、丁寧に一から説明することも必要だなと思わされました。例えば昨年の教会総会はオンラインで開催しましたが、投票の仕方を事前に何度もレクチャーして、結果的には全員が投票できるまでになりました。オンラインでいろいろできることが分かると、70、80代でも海外のオンライン礼拝を見たりする方が現れたり……。きっかけがあれば、世界は広がっていく。特にオンラインは体の動きが不自由でも関係ない「バリアフリー」の世界なんだというのは、この1年、教会の高齢者の方々と関わる中で強く感じるところです。

長沢 私たちのところではIT化も大事ということで、まずは経営会議のメンバーから、クラウド型のグループウェアを使うことになったのですが、何の苦もなく操作できる人とそうでない人とがいて、できない人は、私も含めて一向に進まない。それで、できない者同士が集まって、マニュアルを片手に、みんなで教え合い、ああだこうだと試していると、1人ではとてもできなかったことができるようになりました。分かりやすいマニュアルがあって、みんなで協力し合うことができれば、新しいスキルも習得できると改めて思いました。地域の高齢の方々にも、何か教えてあげられる機会があったらいいなと思っています。

佐々木 そうして新しい物事にチャレンジしながら、世代も超えていろいろな人たちと交流していける。自分の衰えたところやできない部分を見せることによって、実はつながっていったり、クオリティが上がったりするんですね。

教会だからこそできること

佐々木 高齢化を受け入れながら、教会自体も少しずつ変わっていかなければならないと思う面がなきにしもあらずですが……。

長沢 夫を介護している時、教会関係の方々にずいぶん助けられました。私の方からお願いしたわけではなく、どう決めたかも分かりませんが、榛原教会婦人会の皆さんが交替で週1回来てくれて、私が休めるようにしてくれたり、遠州栄光教会の西村一之・ミサ先生は、牧師館に私を住まわせ食事も提供してくださいました。その他いろいろなご支援を頂き、長い介護生活の中でもそういう助けが続いたことは、本当に感謝です。あれは教会関係の方でなければできなかったなと振り返って思います。

やはり助け合うことは必要ですし、それが本来は近所の教会外の方々にも向かわなければいけないことだと思います。私自身が教会員の方々に対しても十分できていないのに、こういうことをやりましょうよ、とはなかなか言えない状況なので、今は教会員の間だけで助け合うだけでもいいのかなと思っていますが。

佐光 教会は開かれている場所で、あなたのことを心配しているということが伝わることが大事なのかなと思うんですね。ですから「朝会」も、とにかく1時間開けておくから、起きたら「おはよう」だけ言いに来てねという程度のことから始めました。自分のことを気にしている人がいるということがすごく大事だなと感じます。そして、それをできるのが教会なのかなと。

教会に「あれをやれ、これをやれ」と言われて、ボランティアとして外へ出ていくというよりは、お互いの気持ちがつながることでやんわり広がっていくつながりのようなものが、ここから先とても必要なのかなと思います。特にコロナ禍で、人に直接会いにくい今だからこそ、やんわり人と手をつないでいく。

教会にいると、既存のあり方に固執する面が多いと思います。例えば、教会献金用のアプリがニュージーランドで開発されたと聞くと必ず「いや、それはこういう問題があって……」と言う人が出てきます。でも、そうして問題を指摘ばかりしていないで、これから献金の中核になる若い人たちの気持ちをくじかないためにはどうしたらいいかを考えなければ、と思います。そういう視点でものを見ると、少し変わってきせんか? 既存のルールや今までのやり方にのらない人をはじくのではなく、多少やり方が違う人ともなんとなく手をつないでいられれば、その輪は広がっていくのではないかという気がします。

長沢 今は福祉がいろいろなところにネットワークを張っているので、インフォーマル(非公式)な形で人を助けるというのは教会でできるはずですね。例えば地域における相談支援体制などは、制度的には確立してきているので、その枠に収まらないいろいろな寂しさを抱えている方などをケアするというのは、教会ができることかなと思います。

佐々木 教会が家族以外のホームになるという意味で、とても大事なポジションだと思うんですね。教会が、やんわり、薄くでもつながっている。そういう意味では職場でもなく家庭でもない「サードスペース」という位置づけがあるわけですが、同時に兄弟姉妹を越えて地域社会を「仲間」として、神の国の一員として見ていくという両側面が必要かなと思います。長沢さんが言われたように、制度としての福祉はある程度充実しています。けれども、つながるということを考えるとうまく機能はしていません。突然「あの人と仲良くしろ」と言われてもできるわけではないですから。教会の機能がもう少し地域に開かれて、垣根をとって、教会員以外は「あの人たち」というのではなく、受け入れていくという意識をもって、地域をホームにしていくというのは、とても大事なところだと思います。

「ホッとスペース中原」は4階建てですが、3、4階がシェアハウスになっていて、13部屋の中にそれぞれ、認知症の人、寝たきりの人、DV被害の人、貧困家庭の人、知的障害や発達障害の人もみんないるんです。何らかの生きにくさを抱えた人が。でも、その人たちがただケアを受けるのではなく、その人も何かシェアしていく。教会のためのシェアハウスではなく、地域のみんなが集まってシェアしていける場を作り、その中に教会の思想とか考え方とか、哲学が生きていくと、結果的に地域に開かれていくのではないかと思っています。

佐光 「助けてあげる」というと、とても「上から目線」になってしまうけれど、一緒に何かができるという視点が大事なのかもしれませんね。

佐々木 そうですね。だから、「1人でやるよりみんなでやった方が楽だし、もっといいものができる」と考えられる当事者性をクリスチャンが持っていれば、いろいろな人とつながっていけると思うんです。教会はどうしても、「信じているかいないか」で選別する。そういう固定観念を外せるといいと思います。

長沢 人間として共通の部分を、自分のものとして共感し合うということが大事なんでしょうね。

佐光 神様は多様性を認めて、いろいろあってOKだと思っていらっしゃるわけだから、「これは正しくてこっちはダメ」という価値観は人間の見方だというところに帰らないと。

長沢 佐々木さんは牧師としての一面もあり、共同体の中にいる人たちが、神様のことを知ればいいなと願っていらっしゃいますか?

佐々木 もちろんです。例えばノンクリスチャンの70代の方が、車椅子に乗って草むしりなど教会の掃除をしてくださっています。教会に反発を抱いている近所のお宅の前まで掃いてくれています。和解するために。こちらからお願いしたわけでもないのに、それほど献身的にいろいろなことをしてくれるんですよ。

このまま今あるものを次の世代に残していかないと途絶えてしまうわけです。キリスト教だけでなく、その人が持っているものが途絶えてしまうので、自分の持っているものを下の世代や周りの人とシェアしていくというのはとても大事だと思います。

長沢 学ばされました。少しでも地域の方に、教会員としてではなく、人間として、同じような喜びもあれば悲しみもあって、そういうものを分かちあえるようになっていくのは大事かなと改めて思いました。

佐光 上手に歳をとるという意味では、趣味や生活の充実だけでなく、ちょっと外に目を向けて、施設にボランティアに行ってみようとか、教会で牧師のお手伝いをしてみようとか、何かできることをやってみることで変わってくることもあるかなと。そのベースに教会があるといいなと思います。

この間、親戚がお寺さんという友人がうちの教会に来て、生まれて初めて教会という建物に足を踏み入れたんです。「こんなに明るくて広いところなのね」と言うので、どんなに怖いところだと思っていたんだろうと(笑)。でも、礼拝堂を見て感嘆されるのを聞いて、私もうれしくなりました。だから、信者として勧誘しましょうということではなく、そういう案内がしやすい場所であってほしいですね。外部の方と話すことで気づく教会の良さってたくさんあるでしょうね。

佐々木 高齢者と若者の間もそうだと思います。

長沢 なるほど。そうですね。

佐光 知らないことは恥ずかしいことではなく、知らないことがあったら、みんな丁寧に教えてくれるということがまず伝わるといいですよね。

――ありがとうございました。

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