シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑥小さな教会の物語 【Road to えきゅぷろ2022】

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私にとってのエキュメニカルのスタート地点。それはプロテスタント教会の信徒である私が、ミッション系大学のお昼のミサで、「プロテスタント教会の信仰を持ったままでは、御聖体(パン)をいただけない」という衝撃的な体験をしたところからでした。そこから、「洗礼って何か」「聖餐とは何か」、そして「プロテスタント教会は破門されているからみんな地獄に行くのか」という話にまで自分の中でつながっていき、最終的には「本当のキリストの教会とは何なのか」という問いの答えを模索する日々を過ごしています。

それは、「イエスが望んでいた神の国運動とは何だったのだろう」と問うことに近い気がします。この2000年近い歴史と伝統のある世界で、「私に何が分かるというのか」とも思いますが、まだ34年程度しか生きていない私にとってでさえ、エキュメニカルとは単なる幸せを探す旅ではありません。それは、救われないはずの自分の教会にも、イエス・キリストがいることを示すこと。そして、無神論に満ちた教会の滅びしか定められていない運命から、新しい意味を見つけていくこと。つまり永遠のいのちへと移行していくことを指しています。そのような意味で、私にとってエキュメニカルとは世の光であり、神の愛そのものです。

最近、恩師から「今はどんなことに興味を持っていますか?」というお手紙をいただきました。正直、私は今でもずっと教会が好きだし、神学も好きな人生を相変わらずに送っています。そしてイエス・キリストと共に生きることが、好き。私が18歳で初めて出会った教会と、神学は何のためにあるのか? それはいつか私が、本当に愛する人と出会った時に、その人を守るためにあるのだと感じます。誰かを断罪し、否定するための神学ではない、和解と赦しを通した新しい神学が、〝多様性のある一致〟という、まだこの世界に実現していない主の食卓の交わりを実現すると、私は信じています。

(スタッフ・酒井 瞳)

【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑤違いを乗り越えていく努力 2021年8月11日

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