8月12日 エレミヤ書31章31節

見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
エレミヤ書31章31節(参考箇所同書31章1〜40節)

背信の民は審きとしての捕囚から解放され、再び主を知る民へと回復するとの預言をエレミヤは希望に溢れて語ります。背信の民から信仰の民へと回復するにあたっては、神との関係はすっかり新しくされねばなりません。今や律法はシナイ山においてではなく人々の胸の中に授けられ、石にではなく心に刻まれ、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」のです(33節)。また捕囚の苦しみを通して、悔い改めと罪の奴隷からの解放を経験した全イスラエルは、信仰は個人が責任を持たねばならないことを学び取ったのでした。捕囚の出来事は新しい信仰ヘと人々を目覚めさせました。この新しい契約においては、神は審きの神ではありません。赦(ゆる)しの神として人々の罪を心に留めることはないのです(34節)。

この新しい信仰のあり方は旧約の信仰を律法の信仰に留め置くのでなく、やがて新約に引き継がれる福音的信仰の土台がすでに旧約の中にあることを教えるものです。旧約と新約の間は、断絶でなく連続していることを明らかにしているのです。

新約聖書があればそれだけで十分、旧約は新約の補助と考えるようであってはなりません。旧約の中にすでに新約の信仰が始っているのです。

 






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