8月11日 エレミヤ書24章3節

主はわたしに言われた。「エレミヤよ、何が見えるか」わたしは言った。「いちじくです。良い方のいちじくは非常に良いのですが、悪い方は非常に悪くて食べられません。」
エレミヤ書24章3節(参考箇所同書24章1〜10節)

時を経て、今や南王国ユダはバビロン王によって滅ぼされ、バビロン捕囚の憂き目を見るに至りました。しかしある者たちはバビロン王に抵抗しエジプトを味方に付けて、エルサレムに残ったのでした。この事態に対し、エレミヤは神から「何が見えるか」と問われます。彼は答えて「良いいちじくと悪いいちじくを見る」と言います。

良いいちじくとはけなげにも抵抗して国を守ろうとした人たちで、悪いいちじくは力弱くバビロンに連れられていった人々を意味してもよさそうなものです。しかし神がエレミヤに示された意味はそうではありません。良いいちじくは、バビロンで捕囚の憂き目にあっている人々であると主は言われるのです(5節以下)。彼らは無抵抗で弱く見えますが、真の主である信仰に目覚めるために苦難がなければならないのです。エルサレムに残った人たちは如何にも力強く見えます。しかし所詮己の力に拠る以外になく、真の信仰から外れるという意味で悪いいちじくなのです(8節以下)。神の御心は、人の思いからすれば矛盾しているかのようです。だからこそ、神の御心を知るには、人の思いを越えたところに「何を見るか」でなければならないのです。

 






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