6月3日 サムエル記下6章6〜7節

 一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。
サムエル記下6章6〜7節(参考箇所同書6章1〜8節)

「ウザ撃ち」と言われる出来事がありました。ダビデはイスラエルの統一に成功し、その都をエルサレムに定めようと神の箱を牛車に引かせて運び上げるときのことでした。牛がよろめいて神の箱が転がり落ちそうになったので、付き添っていたウザが手を添えて支えたのでした。しかしウザは神に打たれて死んだと聖書は記すのです。ここには深い意味があることを知らねばなりません。

パウロはアテネの市民に向かって、こう言いました。「神は天地の主なのですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要はありません」(使徒言行録17章24〜25節)。神は徹底して天地の造り主でいますのだから、被造物である人間が、神について何事かを補うということはあり得ないとパウロは言うのです。

ウザは人間の配慮をもって、神の箱が転がり落ちるのを防ごうとしました。それは神の不足を人間が補おうとする行為であるということなのです。つまり神の意志に人間が従うことはあっても、人間の意志の中に神が置かれることはないということです。神の主権は徹底して神に属することを教えられます。

 

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