3月12日 山上の説教 マタイ7章7節

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。
マタイ7章7節(参照箇所同書7章〜12節)

人は物事を達成するために努力を重ねます。成果を得るも得ないも努力次第とするのが、この世の常識となっています。しかし信仰の世界はそうではないのです。「求めなさい。そうすれば、与えられる」とは、すでに与えられるものが備えられているので、求める努力をするのです。「探しなさい。そうすれば、見つかる」とは、発見すべきものはすでに置かれているのです。だから探すのです。「門を叩きなさい。そうすれば、開かれる」とは、門を叩いて、こちらから扉を開けるのではないのです。叩いた門は向う側から開けられるのです。

すでに答えは十分に用意されているので、それを信じて、求めたり、探したり、叩いたりする努力をするのが信仰者の生き方であると主は教えておいでになります。手にした結果をあたかも自分の努力のせいであるとするのは、信仰者の生き方ではありません。どれほど努力を重ねて成果を手にしたとしても、それはすでに神が備えてくださったこととして受け取る者は、どのような結果を得ても謙遜と感謝を忘れることがありません。

 






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