1月15日 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。マタイ11章28節

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
          マタイ11章28節(参考聖書箇所同書11章25〜30節)

 この有名な言葉の後には、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。・・・わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」とあることに注意しなければなりません。わたしたちは、うっかりすると救い主のところへ行けば、辛いことや悲しいことはすっかりなくなってしまうと単純に受け止めがちです。しかし、救い主は、信仰さえあれば、幸福と健康を手にすることができると単純に考えておいでになりません。
 救い主は言われます。あなたの軛は、実はわたしの軛なのだと。背中の軛が主の軛と成り代わっているので、背負い得る者となっている、そこになおもって生きる勇気の源泉を発見するのであります。ルターは、キリストを信じるとき、喜ばしい交換が起ると言います。キリストのものがわたしのものとなり、わたしのものをキリストが引き受けてくださる、そこにこそ信仰による慰めがあるというのです。
 その結果、わたしたちは疲労困ぱいの最中にあろうと、重荷で押し潰されそうになっていようと、なおしたたかに生きている自分の姿を見るのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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