主人公の猪爪寅子は女性弁護士のパイオニア。彼女の一代記と思いきや、社会の縮図のような群像劇。現在に通じる社会課題やタブーとされがちなテーマにも踏み込む――『虎に翼』の制作陣は「ただ者」ではなさそう。番組の制作統括を務めるチーフ・プロデューサー尾崎裕和さんに直撃インタビューを試みました。
――100年前が舞台なのに、今まさに問題になっているさまざまなテーマが盛り込まれ、特に女性から共感する声が聞かれます。こうした反響は当初から想定していましたか?
尾崎 最初から反響を狙ってドラマを作ることはありません。企画を決める段階で、脚本をお願いしようと考えていた吉田恵里香さんに相談するところからのスタートでした。吉田さんと題材を考えていくなかで、女性初の弁護士、判事、裁判所長となった三淵嘉子さんのことを知り、彼女をモデルに物語が作れないかと発想を膨らませていきました。法律を扱うので自ずと憲法や今日の社会の仕組みなど、結果的に現代にもつながるテーマについて考える作品になったという感じです。テーマ性のある内容ですので、ある程度のリアクションはあると予想できましたが、特に意図してはいません。
――男性の立場からはどう見られているのでしょうか?
尾崎 個人的には、明律大学法学部で寅子の同期となった轟や花岡に惹かれました。女性を差別するつもりはないのにはじめは寅子と対立してしまう。それが次第に変化していく過程、あの時代の男性としての困難も描かれていて、とても興味深く見ていました。同じように共感している男性の視聴者もいると思います。
――登場する男性たちは、柔軟性があります。実際に当時の男性たちが彼らのようであったら、もう少し違う現代があり得たと思います。
尾崎 ドラマなので過去の出来事を100%再現するのではなく、時代考証をもとにしながらも、今の視聴者にも届くように、今を生きる吉田さんの視点で再解釈して作り上げることを意識しています。もちろん強権的で怖い父親を登場させることもできたと思いますが、逆に分かりやすすぎる。寅子の父・直言のように娘の将来に理解はあるけれど、どこかずれた面があったり、穂高先生のように寅子を応援する意識は変わらないけれども失言をして怒らせてしまったり、やはり今の目線から見てもリアルな人間の二面性を意識的に描いている点は、吉田さんらしいなと思いました。
――男女平等、選択的夫婦別姓、同性婚や関東大震災での朝鮮人虐殺など、政治的なイシューになり得る問題にも果敢にチャレンジした印象があるのですが……。
尾崎 いろいろな意見があることは見聞きできています。ただドラマは放送されたものがすべてなので、寅子をはじめとする登場人物たちが、何を考え、どういう選択をしていくかという物語を通して、皆さんが考えていただくきっかけになればと思っています。もちろん、倫理的な表現上の配慮は必要です。制作統括は番組の責任者でもあるので、放送する時間帯と視聴者層を考慮した一定の線引きをする責任はあります。
――個人的に思い入れのあるシーンはありますか?
尾崎 岡田将生さん演じる寅子の再婚相手となる航一が、総力戦研究所にいた過去を振り返るシーンです。もともと開戦前の1941年、当時のエリートを集めて「日本はアメリカに負ける」というシミュレーションを行った総力戦研究所には興味があって、なんらかの形で表現できたらと願っていました。三淵さんの再婚相手である乾太郎さんが総力戦研究所にいたという史実から、こういう形で表現できてよかったです。開戦前から結果が予想できていたのに、戦争に突入して負けてしまったというのは、日本という国のあり方や、組織のあるべき形を考えるうえで教訓になると思います。朝ドラで触れられたことには意義があったのではないでしょうか。
――「許す」というテーマが通底しているように思いました。
尾崎 確かに、「許す/許さない」はテーマの一つとして描かれています。「簡単には許さない」「謝ったぐらいでは許されないことがある」「そんな簡単に人のことを許していいわけがない。絶対に譲ってはいけないことがある」――怒りを我慢する必要がどこまであるのか、という切実な問いです。思っていることを内に秘めるのではなく、ちゃんと声に出そうという吉田さんなりのエールでもあると思います。逆に、それだけ言いたくても言えない人たちがたくさんいることの裏返しかもしれません。
――若者がテレビすら持っていない、映画も倍速で見るという時代状況のなかで、ドラマの作り方は変わっているのでしょうか?
尾崎 比較的、若い方にも見ていただいているというデータも手応えもありますが、作り手側として意識しているとしたら15分の枠内で情報量は多い方が、見る人はより引きつけられるという点ぐらいでしょうか。密度の濃さが若い視聴者にとっても受け入れやすい要因になっているのかもしれません。
――現実の日本社会では、100年前から変わらず、残り続けている課題も多いと思うのですが……。
尾崎 ドラマの冒頭で憲法第14条を読むシーンがあります。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
当然、理想としては平等になった方がいいのですが、そもそも世の中は少しずつしか変わらないので、私たちが少しずつ変わることによって、よりポジティブな方向に変わっていくといいなと思っています。
――社会が変わっていくうえで、ドラマを含むエンターテインメントがもつ可能性についてはどうお考えですか?
尾崎 そもそもエンターテインメントと、何か考えさせられるテーマ性を別ものだとは思っていなくて、ある種のメッセージや自分が変わるきっかけになるような要素が含まれていることで、よりエンターテインメントとしての価値が上がると。ドラマとして楽しみつつ、どうしたら世の中がより前向きに変われるかを考えられたら、それはすごくいいことです。せっかく見るのであれば、テーマ性のあるものを見る方がタイパもいい。あるメッセージを訴えたいから主張を入れるというよりも、そういう要素があった方が面白いという感覚です。吉田さんの脚本も、主張すべきことはあっても、エンターテインメントと両立させています。もちろん回によっては主張が目につくこともありますが。
――今後の展望はありますか?
尾崎 やはり今、この時代に作ることの意味を考えながらドラマを作っていきたいと思います。ただ、朝ドラは少し長期間で疲れたので、しばらくはお休みしてから(笑)。
取材・文/松谷信司(キリスト新聞社)
*このインタビューは8月23日に実施しました。
尾崎裕和
おさき・ひろかず 1980年、生まれ。2002年、NHK入局。2007年、ドラマ部へ。2019年からメディア総局のチーフ・プロデューサー。連続テレビ小説『エール』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のほか、地上波ドラマで初めてアロマンティック・アセクシュアルの当事者を主人公にした『恋せぬふたり』(脚本・吉田恵里香)、死にたい気持ちに寄り添う『ももさんと7人のパパゲーノ』(主演・伊藤沙莉)などの話題作で制作統括を務める。
YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。