儚さと主のみ言葉 與賀田光嗣 【宗教リテラシー向上委員会】

夏季休暇は毎年、妻の実家がある山形県酒田市を訪れている。先日、大雨被害があった場所でもある(写真撮影=阿部彩人)。ボランティアを考えていたところ、中学1年生の娘から参加の申し出を受けた。驚きと喜びを感じつつ、2人で参加することとなった。普段は穏やかな川が氾濫し、堤防を越え、土砂が家屋に流入した。あるところでは1メートル以上の土砂が積もった。その地域の水田は壊滅的で、復旧するにしても5年はかかるという。高齢社会となった山村での一次産業の復興は困難を伴うだろう。

高齢社会ということもあり、近くの聖公会の教会は数年前に聖別解除された(礼拝堂は聖別されてから使用される。閉鎖時には聖別解除を行う)ため、日曜日にはカトリック教会の礼拝に参加した。隣町(鶴岡市)のカトリック教会はそれなりの規模だが、酒田のカトリック教会は小規模であり、聖餐式は月に2回。残りの2回は信徒による「み言葉の礼拝」となっている。私を含め7人での聖餐式だったが、高齢の方々の祈る姿は、信仰の尊さ、その方々の生涯の歴史を感じさせるものがあった。

自然災害や地方の現状を目の当たりにすると、人間の儚(はかな)さを感じる。「はかなさ」の「はか」という言葉は、水田に稲を植え収穫する際の仕事量を表す単位であり、さまざまなものを「はかる」という意味であるという。「はかる」とは、人がある意図・計画をもって生活する時には、必ずや求められる基本的な営みということができる。「はか」「ない」とは、人間の営みが無意味となること、思い通りになることはない、常にそのままのものはないということだ。この「無常」という主題を人間は感じ、また考え続けてきた。

日本の精神史では、無常を無常として感じる「無常感」と、無常を事実として受け入れる仏教的「無常観」を発見することができる。ではキリスト教はどうだろうか。

とあるカトリックの霊的指導者はこう語る。「朝、聖餐式の時、私が司祭で、イエスは生贄です。(聖餐式の後)一日中、イエスが司祭で、私は生贄です」
聖餐の時、私たちは主をまさに命の糧とする。今度は私たちが命の糧として、多くの人の食い物として生きるということである。それは決して自分の望むような食べ方はされないことだろう。主の十字架が示すように、噛み砕かれることも多々あるだろう。

思い通りにならないところにこそ、何かの神のメッセージがあることを、キリスト者は主の十字架と復活から知る。イエスがご自身を差し出し、愛することの意味を告げたからだ。

先の引用で大切なのは「イエスが司祭」という点である。イエスが共におられるということだ。イエスは人々と共におられた。病人を癒やし、心と体において飢える人と食卓を囲み、小さくされた人を招かれた。イエスは、幼少期に政治難民、母子家庭、肉体労働者として地上での生涯を歩まれた。困難にある人には、何よりも環境が重要なことをご存じだった。体と心の癒やしはセットであり、それこそが人間のいのちの問題だからである。だからこそ、教会は病院や学校や社会福祉を整備してきた。それはイエスによって立ち上がる力を与えられた人々が、キリストに倣いてその道を歩もうとした信仰の歴史そのものである。

常にそのままのものはない。人間は儚く、その生涯は夢幻のようなものだ。しかしこの儚さの中で人間の営みを紡ぐことができる。「老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル書3:1)のだ。主によって与えられた人間のいのちは尊いからだ。いのちを大切にする時、主が共におられることを私たちは実感する。「草は枯れ、花はしぼむ。/しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40章8節)。この聖句の意味を深く味わいたい。

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

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