主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の69篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 69篇5節
神よ、あなたは私の愚かさをご存じです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
自分を理解してくれる人というと、まず自分の良さを知ってくれている人を思い浮かべるかもしれません。「自分には理解者がいない。理解者が欲しい」と願う人は、自分の良さや長所を知って欲しいと願っていることが多いのではないでしょうか。SNSを眺めれば自分の賢さを見せびらかそうとする人が少なくありません。そしてできるだけ愚かな面は隠そうとしています。
しかし、本当の理解者とは自分の弱さや悪い面、愚かさを知ってくれる人ではないでしょうか。自分のそんな面を知りつつも、それでも離れずにいてくれる人、そんな人が本当の意味での理解者ではないでしょうか。良い面を知って近くにいる人は、その良い面が失われれば離れていきますが、悪い面を知って近くにいる人は、いつまでも離れることはありません。
クリスチャンの中にはときどき「神様をがっかりさせてはいけない」と気を張る人がいますけれど、神様はあなたにがっかりなんてしません。だってもともとあなたの「がっかり」な面まで知った上で愛してくださっているんですから。
クリスチャンは聖人君子である必要はありません。あなたがどんなに愚かでどんなに醜くて汚くても神様はあなたを愛しています。
愛妻家の友人が酔っ払った時に、「嫁さんのならウンコでもゲロでも汚いなんて思わない。全部俺が掃除してやる」と言っていました。すごいなー、美しいなーと思いました。そしてそのまま大いびきでヨダレを垂らしながら寝てしまった彼をみて、僕もまた「この大いびきもヨダレも、僕は汚いなんて思わないな」と思いました。
賢さばかりを見せ合っても争いが生まれるばかり。もっと愚かさを見せ合えるようになれば、世界はもっと平和になるのになと思います。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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