見せ合うべきは賢さよりも愚かさです【聖書からよもやま話593】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の69篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 69篇5節

神よ、あなたは私の愚かさをご存じです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

自分を理解してくれる人というと、まず自分の良さを知ってくれている人を思い浮かべるかもしれません。「自分には理解者がいない。理解者が欲しい」と願う人は、自分の良さや長所を知って欲しいと願っていることが多いのではないでしょうか。SNSを眺めれば自分の賢さを見せびらかそうとする人が少なくありません。そしてできるだけ愚かな面は隠そうとしています。

しかし、本当の理解者とは自分の弱さや悪い面、愚かさを知ってくれる人ではないでしょうか。自分のそんな面を知りつつも、それでも離れずにいてくれる人、そんな人が本当の意味での理解者ではないでしょうか。良い面を知って近くにいる人は、その良い面が失われれば離れていきますが、悪い面を知って近くにいる人は、いつまでも離れることはありません。

クリスチャンの中にはときどき「神様をがっかりさせてはいけない」と気を張る人がいますけれど、神様はあなたにがっかりなんてしません。だってもともとあなたの「がっかり」な面まで知った上で愛してくださっているんですから。
クリスチャンは聖人君子である必要はありません。あなたがどんなに愚かでどんなに醜くて汚くても神様はあなたを愛しています。

愛妻家の友人が酔っ払った時に、「嫁さんのならウンコでもゲロでも汚いなんて思わない。全部俺が掃除してやる」と言っていました。すごいなー、美しいなーと思いました。そしてそのまま大いびきでヨダレを垂らしながら寝てしまった彼をみて、僕もまた「この大いびきもヨダレも、僕は汚いなんて思わないな」と思いました。

賢さばかりを見せ合っても争いが生まれるばかり。もっと愚かさを見せ合えるようになれば、世界はもっと平和になるのになと思います。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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