主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、コリント人への手紙第二の5章です。よろしくどうぞ。
コリント人への手紙第二 5章14節
一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
天動説が地動説に変わるような根本的な考え方の転換のことをコペルニクス的転回と言います。哲学用語ではありますが、すでにご存知の方も多いかと思います。聖書というのはこのコペルニクス的転回に満ちた書ですし、それを根底に据えているキリスト教もまたコペルニクス的転回に満ちた教えです。反対にいえばコペルニクス的転回なしに信じることができないものでもあると言えます。
イエス・キリストがすべての人のために十字架で死んだ。このことはクリスチャンでなくとも、それを信じるか信じないかは置いておいても、少なくともキリスト教において重要なことであることはご存知かと思います。しかし、その事実が「故にすべての人もまたその十字架において死んだのである」ということは、ほとんどの人が、場合によってはクリスチャンでさえ、認識していないのではないかと思います。ここに巨大なコペルニクス的転回があります。生きるために信じるのではなく、死んだからこそ信じるものが聖書であり、キリスト教つまり福音であるわけです。
「人間、死んだ気になればなんでもできる」なんてことはよく言われますが、聖書はあらゆる人にその「死んだ気になった」状態を求めているわけです。死というのは大いなるリセットであり、あらゆる制約から解放されることでもあります。生まれた境遇も、生きてきた経歴も、築き上げてきた成果も、絡みつくしがらみも関係なく、死は誰にでも訪れます。死を前にして、人はとことんまで平等です。つまり、十字架によってすべての人が死んだという事実を前に、あらゆる人間は生まれた境遇も、生きてきた経歴も、築き上げてきた成果も、絡みつくしがらみも関係なしに平等です。
「宗教は人が豊かに生きるためにある」というのもよく言われることですが、聖書は、福音はそれを超越して、「生きるため」ではなく「すでに死んだのだ」と迫るんです。そして自分はもう死んだのだという、信じがたい事実を受け入れることが、クリスチャンになるということです。洗礼というのは一度水に沈んで死に、自ら上がって新たな命を得るという営みです。人間は、というかあらゆる生物は命を一つしか持てませんから、それまでの命を手放すことなしに新しい命を得ることはできません。手放さなければ得ることはできないんです。
東京にいるうちは大阪に行くことはできません。大阪に行くためには東京から離れなくてはなりません。小学生であるうちは中学生になることはできません。中学生になるには小学校を卒業しなくてはいけませんし、中学生になったらもう小学校に通ってはいけません。東京にいるのと同時に大阪にいることはできませんし、中学生になったのに同時に小学生でもありつづけることはできません。同じように、それまでの自分であるうちはクリスチャンになることはできませんし、クリスチャンになったらもうそれまでの自分に戻ってはいけません。死んだ人が戻ってこないのと同じです。
すべての人が死んだというのは、すべての人に同時に「君たち、全員小学校卒業!」と言われたようなものです。小学校を卒業したんだから、みんな中学校に行かなければなりません。卒業したのにそのまま小学校に居座ることはできません。小学校を卒業するとき、ずっとこのまま今の友達と小学生でいたいな、なんて気持ちを抱いた人は少なくないでしょうが、本当にそのまま小学校に通い続けた人はいないはずです。この意味では「卒業」という言葉は「追放」と同義でもあります。
僕たち人間は、イエスの十字架によって、それまでの在り方を「追放」され、新たなステージへと向かうことを命じられているんです。自力では誰も卒業できなかった小学校を、キリストが十字架によって「校長先生、この子らを卒業させてあげてください」と懇願し、校長先生が「わかった!特例で卒業!」と卒業させてくれたんです。それで中学生活=信仰生活という新しいステージへと向かうことを赦されたと同時に、古いステージに居続けることがゆるされなくなったんです。そして神様は今日も、小学校を卒業した人たちが一人残らず行き場に困ることなく、中学校に通うようになることを待っているんです。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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