主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の87篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 87篇1節
主の礎は聖なる山にある。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
僕は旅行に行くなら山よりも海を選ぶ、いわゆる「海派」です。海水浴をしたりマリンスポーツをしたり釣りをしたりはあまり興味がないのですが、やっぱり海の方が食事がおいしい!というのが理由です。それに、海の音を聴いているだけで心も体も癒されるような気がします。
しかし、聖書の神様に「海と山、どっちが好き?」と尋ねたら、おそらくこれはもう圧倒的に「絶対に山!」と答えるんじゃないかと思います。聖書を読んでいると、神様はとにかく山が好きなんだなということがわかります。今日の引用箇所では「主の礎は聖なる山にある」と書いてありますし、十戒を渡すためにモーセを呼び出したのも山ですし、イエスの最も有名な演説も「山上の説教」です。一方で海にまつわる有名エピソードといえば、モーセが海をぱっかーんと割ったというのがあるくらいです。
神様が求める捧げ物も羊や牛ばかりで、「魚を捧げろ!サザエも食べたい!」なんてことを言ったことは一度もありません。イエスが魚を食べていることはありますが、これはおそらくガリラヤ湖で獲れた淡水魚で、海の魚ではありませんし、イエスが特にそれを好んだという記述もありません。
聖書の舞台となっているイスラエルが内陸の海のない地域であるというのなら、それはそれで納得なのですが、実際のイスラエルは西側は地中海に面していますし、それこそモーセが割った紅海だってあります。現代のイスラエル旅行ガイドをみれば、それらの海にはレジャーを楽しめそうな美しいビーチだってあります。新鮮なシーフードを楽しめるレストランだってたくさんあります。
それなのに。神様は山が好きなんです。もったいない。とはいえ、海よりも山を好むのは聖書の神様だけではないようで、日本の仏教も海よりも山を重視する傾向があります。「総本山」なんて言葉もありますし、それを「お山」なんて呼んだりもします。お坊さんが修行をするのも大抵は山です。海で修行をするお寺なんて聞いたことがありません(探せばあるのかも知れないですけれど)。ギリシア神話も、話の中心になるのはオリンポス山です。海神ポセイドンなんて方はいて、それなりに偉い神様ではありますけれど、大神ゼウスにはかないません。エジプトも海に面した国であるのに、神話の中心になるのはナイル川であって、やっぱり海ではありません。世界の神々の皆さんは総じて「山派」であるようです。
ちょっと例外的なのは日本神話で、一番偉い神様は太陽神であるアマテラスさんですけれども、その弟であるスサノオさんは海を司る神様です。そしてこのスサノオさんはヤマタノオロチをやっつけたりして、日本創生に欠かすことのできない存在として大活躍をします。スサノオさんの他にも日本神話には海にまつわるエピソードがたくさんあります。やっぱり日本というのは「海に面した」どころか「海に囲まれた」国であるので海への愛着が強いのかと思います。
面白いのは西洋にはティアマトやらモービーディックやらリヴァイアサンやら、海から来る恐ろしい怪物がたくさんいるのに対して、日本にはあまりいないことです。日本人にとっては怪物であろうとも海からやってくるなら「それは捕まえて食べてしまえば旨そうだ」と、「恐れる対象」であるよりも「食料」に過ぎないのかも知れません。日本人って海由来のものはまず食べようとしますからね。こうして考えてみると日本人ってちょっと特異な民族だなと思います。
もし僕が神様なら、民に求める捧げ物は「牛や羊もいいけど、それよりも魚とかサザエとかアワビとかイカとかタコとかエビとかウニとか・・・」と言うような気がします。ちなみに今年はサンマとイカが豊漁なようですから、楽しみたいと思います。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。