主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、サムエル記第二の11章です。よろしくどうぞ。
サムエル記第二 11章15節
彼は、その手紙に次のように書いた。
「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が討たれて死ぬようにせよ。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ダビデ王は人妻であったバト・シェバと不倫をしました。「これがスキャンダルになるとまずいな」と思ったダビデは、バト・シェバの夫であり、ダビデ軍の兵士であったウリヤを殺そうと考えました。そうすれば「王に妻を寝取られた!」と被害を訴えられてスキャンダルが発生することもありませんし、バト・シェバを正式に妻として迎えることができるからです。
そこでダビデはウリヤに言いました。「戦地で戦ってきてくれる?で、ついでにこの手紙をそこの司令官のヨアブに渡してくれる?」ウリヤは忠義者だったので、何の疑いもなしにダビデの命令に従い、手紙を司令官ヨアブに渡しました。その手紙には「この手紙を君に渡したヨアブを、戦場の一番危険な任務につかせて、それで見殺しにして死なせてしまうように」と書いてありました。ヨアブもまた忠義者だったので、この命令を粛々と実行し、こうしてウリヤは死に、バト・シェバはダビデの妻となりました。
・・・なんとも読後感の悪い、後味の悪い、胸糞の悪い話です。不倫だけでも悪いのに、あろうことか不倫相手の夫を殺すだなんて。しかも権力を用いて自分の手は汚さずに殺すだなんて。しかもそれをやったのが、あの名君と呼ばれるダビデだなんて!!『文春砲』もびっくりの大スキャンダルです。こんなことを現代日本の政治家さんがやったとしたらとんでもないことになります。
これが英雄とも名君とも呼ばれるダビデの、生涯随一の罪であり過ちであると言われる事件です。他の歴史書では名君と呼ばれる人の失態や不都合な事実はあまり書かなかったりします。しかし聖書にはこうして、「名君ダビデ」の大失態がはっきりと詳細に記されています。それは「あのダビデでさえ、とんでもない罪を犯した。つまりダビデでさえ完璧な人間ではない。ゆえに完璧な人なんてこの世に一人もいないのだ」という聖書のメッセージであるとも取れますし、また、ダビデのその後の大いなる後悔と懺悔の日々を描くためであるとも取れます。あるいはもっと単純に、あったことをありのままに歴史として記す、という理想的歴史書としての矜持とも取れます。
日本の戦時中の総理大臣であった東條英機は、ダビデのこの事件のことを知ってか知らずか、同じような手法で政敵を粛清したことが何度もあったそうです。即ち、政敵を一般兵として前線に送って政治から離れさせ、あわよくば戦死させるという手法です。東條さんに限らず、戦国時代なんかでも信頼できない仲間をあえて前線で戦死させるというようなことはあったようです。権力者が自分の手を汚さずに邪魔者を排除する、一つの「あるある」なのかもしれません。あぁ、そう考えるとなおさら胸糞悪い・・・。
聖書は決して「美しい、ありがたいことだけが書いてある本」ではありません。こんなに醜く後味の悪い話も書いてあります。むしろ人間の愚かさや醜さをこれでもかと記録してある本でもあります。それは聖書がいわば「人間の取り扱い説明書」だからです。説明書に「この商品はこんなに素晴らしいですよ!こんなこともできますよ!」なんてことばかりが書いてあっても困ります。それは説明書ではなく広告です。ちゃんとした説明書には「こんな使い方をしてはいけませんよ」とか「こうしないと危険ですよ」とか、そういった失敗や失敗の可能性について書いてあるものです。その製品の「弱点」について、きちんとしたメーカーのきちんとした説明書にはきちんと記してあるものです。
ダビデはこの後、この事件を後悔し自己嫌悪に陥り、生涯にわたって苦しみました。そしてもちろん神様からの罰も受けました。炊飯器の説明書に「この製品で温泉卵を作らないでください。破裂や故障の危険があります」と書いてあるのと同じように、「権力者になったからと言って、人間は不倫をしたりそれを隠蔽するために人を死なせたりしてはいけません。後からものすごく苦しむことになる危険があります」と、聖書には書いてあるというわけです。
主にありて。
MAROでした。
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