計画は「夢」でも具体的に【聖書からよもやま話561】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、エゼキエル書の40章です。よろしくどうぞ。

エゼキエル書 40章2節

わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

バビロン捕囚の25年目にエゼキエルは夢を見ました。バビロニアによってイスラエルの神殿は破壊されてしまいましたが、神様が夢の中に現れて、いずれ再建される新しい神殿をエゼキエルに見せたのでした。しかも測り竿、現代で言えば物差しとかメジャーみたいなものでしょうか、を渡したのでした。

そしてエゼキエルは夢の中でその神殿のあらゆる場所の長さを測りました。このエゼキエル書40章にはその計測結果がかなり綿密に記されています。ですからこの箇所を読むのは非常に退屈だったりもするのですが、しかしよくもまぁ夢の中でここまで具体的に計測したもんだ、と驚かされます。

どんなことを成し遂げるにも計画は重要です。きちんとした計画がなければ物事はなかなかうまくいかないものです。クリスチャンの場合は自分の計画よりも神様の計画に従うべき、というようなことがよく言われるのですが、それにしたってやっぱり計画は重要です。「神様から与えられた計画」というと、ついぼんやりとしたもののように思えてしまうかもしれませんが、神様は時として漠然とした計画ではなく、このエゼキエルの例のように驚くほど綿密で精密な計画をも与えてくださるんです。

自分で立てる計画にせよ、神様に与えられる計画にせよ、漠然としていてはいけません。ぼんやりしていてもいけません。具体的に、綿密に、実体と質感を伴って。そういう計画でなければ、なかなか計画として機能しません。計画にはリアリティが必要です。

神様自体を、ぼんやりとしたリアリティのないものと思っている方も多いかと思います。クリスチャンでさえ、どこか神様に対してリアリティを欠いてしまったりすることも少なくありません。しかし神様にはちゃんとリアリティがあるんです。質感もシズル感も伴って存在しているものです。
それではまた。

主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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