掃除は「聖」の基本【聖書からよもやま話558】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、歴代誌第二の29章です。よろしくどうぞ。

歴代誌第二 29章5節

あなたがたの父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを取り除きなさい。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

行政書士という仕事柄、教会だけでなく時にはお寺は神社にもお邪魔することがあるのですけれど、共通しているのは「大切な場所はきちんと掃除されている」ということです。教会ではもちろん礼拝堂が綺麗に掃除されていますし、お寺なら本堂は綺麗に掃除されているものです。反対に、礼拝堂や本堂が汚れていると、「ここはちょっと本格的に運営が危ないのかもしれないな」と思います。

「聖なる場所を綺麗にする」というのは、おそらく国境も宗教も超えて人類共通の行動なのかと思います。反対に、それを汚す行為が他の場所を汚す行為よりも重く糾弾されるというのも人類共通なのかと思います。たとえば日本でも神社やお寺に落書きをされたら、テレビのニュースで報道されたりして多くの方が怒りますが、そうでない場所の壁やら何やらに落書きがされても、それほど多くの方に怒られることはありません。

聖なる場所を大切に管理するというのは、宗教や文化にとって基本中の基本であり、それが乱れるということはその宗教や文化自体が崩壊の危機を迎えているということです。

今日の聖句はヒゼキヤという王様についての記述の一部ですが、彼は即位してまず聖なる場所を綺麗に掃除しました。その前の王様がそれを大切にせず、荒れ放題にしていたからです。イスラエルの信仰を取り戻すために、まず掃除をしたのでした。

いくらか昔ですが、ニューヨーク市長が街の落書きを消し掃除を行き届かせたら街の犯罪率も低下したという話がありました。場所が掃除されているということは「この場所は管理されている」という証明でもありますし、「この場所は大切なんだぞ。荒らすなよ」という無言の宣言でもあります。僕たちだって、綺麗な部屋を訪れたら自然とそこを綺麗に使おうと思うものです。

日本の学校では子どもたちが自分たちの教室を自分たちで掃除します。それは「教室は大切な場所なのだ」ひいては「学ぶことは大切なのだ」という意識形成に繋がるのかと思います。

大切にしたいことがあったら、まずはそれにまつわる場所や物を綺麗にすることから始めなくてはいけないのかもしれません。・・・とか言いつつ、僕は何かと掃除が苦手でよく怒られるのですけれども。

それではまた。

主にありて。

MAROでした。

【おねがい】

クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

この記事もおすすめ