主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コロサイ人への手紙の1章です。よろしくどうぞ。
コロサイ人への手紙 1章5節
それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。
パウロは信徒たちに「天に君たちのための望みが蓄えられているよ。それは君たちも福音によって知っているでしょ」と言っています。クリスチャンに与えられている望みは地上ではなく、天に蓄えられています。望みというのは人間にとって最も大きな財産とも言えます。つまり「君たちの財産は地ではなく天に蓄えられているよ。それを伝えるのが福音であるのだよ」ということになります。
誰だってお金は欲しいものです。それがなかなか十分に手に入らずに四苦八苦していますし、それが足りないことによって絶望したりすることさえあります。「お金がある」という状態は一種の希望に満ちた状態ですし、「お金がない」というのは先が見えない、つまり希望が見えない状態です。もしお金がなくて困っているときに、突然、銀行からお知らせが届いて「あなたの名義の預金が1億円ありますよ」なんて言われたらどうでしょう。それが本当なら嬉しいですし、人生に希望の光がパーっと差すような気持ちになるかもしれません。1億円まで行かなくても、100万円だってきっとそうでしょう。
僕は実際にそのようなお知らせを受け取ったことがあります。祖父が亡くなったあと、祖父が僕のために僕の名義で貯めておいてくれていたお金がいくらかあり、それについて銀行から連絡が来たんです。金額としては1億円はもちろん、100万にも遠く及ばない額でしたが、それでも祖父の愛に改めて感謝しましたし、そのお金はいくらかの希望に思えました。
福音とはこれに似たことなんです。「天に、神様が、あなたのために多くの財産を蓄えておいてくれていますよ?受け取りますか?放棄しますか?」こういうメッセージが福音なんです。せっかく自分の名義で誰かがお金を蓄えておいてくれても、その存在を知らなければ意味がありませんし、それを知ってもちゃんと受け取らなければ、そのお金はないのと同じです。クリスチャンとは、そのお金の存在を知らされ「受け取ります」と宣言した人で、ノンクリスチャンはそのお金の存在をまだ知らされていないとか、あるいは受け取るかどうか迷っている、または受取を拒否した人ということです。
この天に蓄えられている希望という財産はクリスチャンのためだけに蓄えられているものではありません。この世界のあらゆる人のために、一人一人別名義でしっかりと蓄えられています。これを読んでくださっている方々も誰一人例外ではありません。その講座の存在を聖書や教会を通して知り、そして受け取ってほしいなと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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