主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の135篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 135篇15〜17節
異邦の民の偶像は銀や金。
人の手のわざにすぎない。
口があっても語れず
目があっても見えない。
耳があっても聞こえず
また その口には息がない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
皆さん、お金は好きですか。僕は好きです。
お金があればおいしいものが食べられますし、あれも買えるしこれも買える。
そして何より将来の不安の大きな一要素が解消されます。
きっと今よりお金があったら今よりずっとよく眠れることでしょう。
・・・と、お金の魅力について語ればいくらでも語ることができるくらい、僕はお金が好きです。毎日毎晩、欲しいなーと思いつつ暮らしています。
とはいえしかし、お金は確かに大切で有用なものとはいえ、それを人生の最優先事項にしてしまったら、人間はダメになっちゃうんだぞと聖書は教えています。「偶像礼拝」というのは、よく「像を拝むこと」と思われていますが、厳密にはそうではなく、神様以外のものを神様のように大切にすることを指します。言い方を変えれば、神様以外のものを神様よりも優先させることを指します。つまり像を拝むのは、像自体はただの物体であって神様ではありませんから偶像礼拝だということになりますし、神様よりもお金を大事にするのであればそれもまた偶像礼拝だということになります。
そして、お金を神様よりも優先させる人は、口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず・・・と、つまりそういう人は生きていても何も感じていない、何も発していないのと同じ、すなわち生きていないようなものだと、聖書はちょっと厳しめの表現でこれを戒めています。
よく考えてみれば、僕にはあんまりお金はありませんが、
神様から毎日おいしいものを与えられていますし、必要な最低限のものは買えています。
神様を信じることで将来の不安の、しかもお金で解決できるよりも大きな一要素が解消されていますし、寝る前に祈れば大抵の場合はよく眠れます。
そうです、僕は神様を信じることで、たくさんのお金で得ることができるよりも、もっと大きなメリットを、すでに受け取っているんです。ですから、神様とお金を天秤にかけたとき、たとえば「100億円あげるから信仰を捨てろ」と言われたとしても、そこでお金を選ぶことは愚かな選択だなと思うんです。とはいえ僕は愚かなものですから、本当に目の前に100億円を見せられたら、ちゃんとそこで神様を選べるのか、わからないというか100%の自信はなかったりもするのですけれど、そこでちゃんと神様を選べる知恵を保てるように、神様に祈り続けようと思います。
とはいえ神様、やっぱりもうちょっとだけお金が欲しいです。
パソコンがポンコツになってきたので新しいのを買いたいのです。
同じ時期に買ったスマホもタブレットも同じようにポンコツになってきたので新しいのを買いたいのです。あと、回らない寿司屋にもたまには行きたいのです。焼肉も食べたいのです。うな重も食べたいのです。それにソファも買い替えたいし、できれば来年あたり沖縄と台湾あたりに遊びに行きたいのです。それといつか、ボルサリーノの帽子をかぶってみたいのです。それからそれから・・・
煩悩だらけですみません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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