カレーが食べたい時に牛丼を出された場合に感謝できるか【聖書からよもやま話505】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、申命記の2章です。よろしくどうぞ。

 

申命記 2章7節

この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

モーセが率いた出エジプトの旅はもう40年も続きましたが、いよいよゴールも見えてきました。その40年、いろいろなことがありました。民は神様に逆らったり不平を言ったりもしましたが、思い返してみれば飢えたことはなく、旅に必要なものはみんな与えられてきていたのでした。

僕ももう45年、生きてきました。45年の旅のようなものです。時には「あれがない、これがない、これが欲しい」と神様に不平を言ったり、「このままでは破産してしまうかもしれない、生きていけないかもしれない」と不安に思ったりしたことはありましたし、この先もきっとあるでしょうけれど、これまでの自分の旅を思い返してみれば、一度として神様が必要を満たしてくださらなかったことはありませんでした。毎日、食事やら寝床やら、様々な必要なものを与えられ続けてきたからこそ、今こうして生きているわけですから。

僕たちはつい、「あれがないこれがない」と不安にかられ、不安は不平へと繋がります。でも生きている限り、必要は満たされ続けています。もしかしたら自分で思う「必要」と神様が思う「必要」にはズレがあるかもしれません。自分では「カレーが食べたい」と思っている時に神様から牛丼が与えられるようなこともあるかもしれません。しかしそれでも必要が満たされていることに変わりはありません。「カレーが食べたかったのに牛丼を出すなんて、神様は必要を満たしてくれていないじゃないか」と不満を抱くのか、「神様はちゃんと食事を用意してくださった」と感謝するのか、それで人生の幸せ度はずいぶん変わるんじゃないかと思います。

与えられないものに不満を抱くより、与えられたものに感謝する。それが幸せのコツなのかと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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