主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コリント人への手紙第一の8章です。よろしくどうぞ。
コリント人への手紙第一 8章4節
「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」ことを私たちは知っています。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
クリスチャンは基本的に神社仏閣にお参りしませんし、主なる神以外の何かを拝むこともありません。しかしそれは、中にはクリスチャンであっても誤解している方がいるかもしれないですが、他の神仏が「敵」だとか「邪悪な存在」だから拝まないというわけではありません。そうではなくて、他の神仏が「存在しない」から拝まないんです。これは近いようでいて、実はまったく違う考え方です。「敵」や「邪悪な存在」として偶像の神々を扱うのは、その存在を認めている証拠です。
ですからクリスチャンは他の神仏を憎んだり攻撃したりする必要はなく、存在しないものとして扱うことが良い、ということになります。たとえ他の宗教の偶像を破壊したとしても、その神々や神仏には何の影響もありません。なぜならそもそもそこには「偶像」という物理的なもの以外には何も存在していないからです。
とはいえ、偶像の恐ろしいのは、本当は何も存在していないのに、それでも大いに人の心を惑わすというところです。ですからクリスチャンであるのに、家にお守りだとかタロットだとか、そういった偶像があって、それに心を奪われるなら、「自分の心を守る」という意味でそれを破棄するのは一つの有効な対策かもしれません。悪魔や悪霊といった方々は、本来は何も存在しないものを、あたかも存在するかのように錯覚させて、人を惑わすのが得意です。偶像を身の回りに置くことは彼らに誘惑のチャンスを与えているようなものです。自国の領土のすぐ近くに、敵国の攻撃拠点を置いているようなものです。
このような意味で、偶像を排除するのは大切なことですが、忘れてはいけないことは、偶像それ自体は悪でもなんでもなく、それは「存在しない」ということです。「存在しない」からこそ、悪魔がそこに入り込み、それを大いに利用するんです。そこを間違うと対策を間違えることになります。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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