主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の6章です。よろしくどうぞ。
エゼキエル書 6章4節
わたしはあなた方の中の刺し殺された者どもを、あなたがたの偶像の前に投げ捨てる。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
今日の箇所はなんだか神様が恐ろしいことを言っています。「刺し殺して偶像の前に投げ捨てるぞ!」と。これだけ聞いたらもはやもう凶悪なマフィアみたいなことになっています。
でも前後を読めば、神様は「正しいものを信じなければ身も心も滅ぼすことになるよ。そして間違ったものの前で倒れることになるよ」と、そう教えていることがわかります。
僕たちはどうしても間違ったものに流されやすいものです。お金だとか地位だとか名誉だとか異性だとかギャンブルだとか、他にも様々な「間違ったもの」に流されて、それに人生を振り回されてしまいます。しかしそのままでは、お金に振り回された人はお金に、地位に振り回された人は地位に、名誉に振り回された人は名誉に、しっぺ返しを食うことになります。つまり「偶像の前に投げ捨て」られてしまうんです。
正しいものは、それに従って生きても、振り回されても、それにしっぺ返しを食らうことはありません。神様を信じて、神様からしっぺ返しを食らった人なんて誰もいないんです。神様を信じて神様に滅ぼされた人なんていないんです。反対に言えば、それに振り回されてそれにしっぺ返しを喰らい、それによって身を滅ぼす可能性のあるものはみんな何でも「間違ったもの」、つまり偶像であると言えます。
自分の人生を賭けるに値するもの。それを見極めるのは難しいものですが、このように考えるなら大きなヒントを得ることができると思います。つまり、それによって振り回されて身を滅ぼす可能性があるか否か。お金も地位も名誉も異性も何でも、それ自体は悪いものではありません。しかしそれは人生を賭けるに値するものでしょうか。それはどれも、人生のために必要な時もあるでしょう、大切にすべきでもあるでしょう。しかしそれに振り回されては本末転倒です。それに生涯を捧げるに値するものは実は決して多くはないんです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
【メールマガジン始めました】
クリプレのメールマガジンが始まりました。日々、クリプレの最新記事を皆様にお届けいたします。無料でご利用いただけますのでよろしければこちらのリンクからご登録くださいませ。
【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。