主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 創世記の14章です。よろしくどうぞ。
創世記 14章23節
糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ソドムという非常に悪い国がありました。この国はあまりに素行が悪かったので後に神様に滅ぼされるのですけれど、今日の話はそれより前の話。ソドムは他の国に攻められて財産と国民を奪われてしまいました。アブラム(後のアブラハム)の甥ロトはソドムに住んでいたので彼もまた財産を奪われました。そこでアブラムは私兵318人を率いてロトの財産だけでなく、ソドムの財産と国民をも奪い返しました。318人で一国の軍に勝っちゃうって、アブラムさんって意外と豪傑なんですね。そもそも一般人なのに318人もの私兵を養っていたことも驚きですが。
ソドムの王はアブラムに感謝して言いました。「国民は私に返してくれ。財産はお礼に全部あなたにあげる」。するとアブラムは答えました。「何一つ受け取りません。もし受け取ったら『アブラムは俺のおかげで金持ちになったんだぞ』って、あなた自慢するでしょう?」。
アブラムにとって、自分を富ませてくれる、自分を養ってくれるのは神様のみであるべきで、他の何者でもあってはいけなかったんです。他の誰にも「アブラムは俺のおかげで金持ちになったんだ」なんて言わせたくなかったんです。
たとえばスポーツ選手とかミュージシャンとかが有名になると、「あいつは俺が育てたようなもんだよ」なんて言う人が出てきます。でも話をよく聞いてみると、せいぜい何回か場合によってはたった一度、食事を奢ったことがある、とかその程度の関わりであったりします。一度食事を奢られただけで「俺が育てた」なんて言われたらたまりません。
アブラムはソドムの王に「あいつは俺が育てたようなもんだ」って言われたくなかったんです。前に書いたように、ソドムは非常に素行の悪い国でもありましたからなおさらでしょう。めちゃくちゃ評判の悪いヤクザかゴロツキみたいな人に「あいつは俺が育てたんだ」なんて噂を立てられたら困るのと同じです。
そして何より、人を養い育てるのは本質的には神様の恵みによるのみです。現代に生きている僕たちはつい、「会社に養ってもらっている」とか「お客様に養ってもらっている」と考えてしまいがちですが、そうではありません。少なくともクリスチャンにとってはそうではありません。僕たちを養っているのは神様以外の何者でもないんです。自分を生かすも殺すも神様次第、他の何者をも恐れる必要はありません。
・・・とはいえ僕だって、「あの社長に嫌われて仕事をもらえなくなったらどうしよう」とか考えてしまいます。その社長にたとえば「MAROは俺が育てたようなもんだ」と言われるならそれはそれでいいか、なんて思ってしまいます。それは人間としては自然なことかもしれませんが、しかし信仰としてはアブラムに遠く及ばないなと反省させられます。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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