「世に仕えること」はブラック企業に勤めるようなもの【聖書からよもやま話428】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、 詩篇の37篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 37篇1節

悪を行う者に腹を立てるな。
不正を行う者にねたみを起こすな。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

世の中、悪い人ばかりが良い思いをしているように見えます。お金持ちが「節税」とか言って巨額のお金を蓄えたり内部留保にしていたりしている一方で、我々庶民はしっかりきっちり税金を取られて不公平だ、とか、仕事を上から下へ右から左へ流すだけで中間マージンで稼ぐなんておかしい、とか、政治家が自分の懐にお金が流れ込んでくるように自分の支持業界に便宜を図る・・・とか、いろいろあります。

でももし、そんなことを「正しくない」と思うのなら、それをしている人に腹を立てるな、そんな人をねたむな、とダビデは、聖書は、つまり神様は教えてくれています。それが「正しくないこと」なら、いずれ神様がそれを裁きます。裁くのはあくまで神様であって僕たちではありません。僕たち自身がそれに腹を立てることは、彼らを心の中で裁いているということです。そしてそれは神様に対する職域侵害です。

とはいえ腹は立ちます。なんでまじめにやっている自分がこんな生活なのに、悪いことをしているあいつはあんなにいい生活をしているのか。しかしこの考えは大きな罠をはらんでいます。その怒りは「自分も悪いことをすればいい生活ができるかも」とか「あいつがやっているなら俺もやってやる」という誘惑に簡単に変わり得るからです。

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Image by Dean Moriarty from Pixabay

クリスチャンは世の価値観とは一線を引いて生きる者です。ですからもう、世の「悪い人」にいちいち関わる必要はないんです。悪い人が悪いことをして良い思いをしていても、それは自分とはまったく関係のないこととして放っておけばいいんです。クリスチャンを生かすのは世でなくて神です。クリスチャンに日々の糧、現代でいえば必要なお金、を与えてくれるのも、世ではなく、神です。
悪い人が悪いことをして良い思いをしているのを見たら、「あぁ、彼らは世に養ってもらって、世に仕えてるからそんなことをしないと生きていけないんだね、大変だね。僕たちは神様に養ってもらって神様に仕えてるからそんなことをしなくていいんだ、よかった」くらいに思っておけばいいんです。

強引にたとえるなら、世は「給料だけはちょっといい、壮絶なブラック企業」みたいなものです。一方で神様に仕えることは「手取りは生活するに必要十分な程度だけど、福利厚生も労働環境もしっかりしたホワイト企業」のようなものです。世で悪いことをしている人をみたら「あぁ、ブラック企業は大変ですね、お疲れ様です」と思っておけばいいんです。腹を立てることなんてないんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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