知恵も知識も「得るもの」から「与えられるもの」へ【聖書からよもやま話389】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、歴代誌第二の1章です。よろしくどうぞ。

 

歴代誌第二 1章10節

今、知恵と知識を私に授けてください。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ソロモンは神様から「何でも欲しいものを言え」と言われた時に「知恵と知識を」と望みました。「富」とか「権力」とか「愛」とか言わずに、「知恵と知識」と言ったんです。そして神様はソロモンにそれを溢れるばかりに与えたので、ソロモンは世界一の賢者となり、結果的に「富」も「権力」も「愛」も、他にもおよそ人間の思いつく限りの良いものをすべて手に入れました。「何でも欲しいものを言え」と言われて「知恵と知識」と答えること自体、すでに知恵に満ちている気がしますが。

先日『ジョジョの奇妙な冒険』を観ていまして、「願いを3つ言え」と主人公が誘惑されるシーンがありました。そのシーンを観ながら「僕だったら何を望むかな」と考えたのですけど、「もう少しお金が欲しいなぁ」とか「もう少し広い家が欲しいかなぁ」とかそんなことばかりが浮かんできました。でもそこで、このソロモンのエピソードを思い出して、「ああそうだ、知恵と知識を望めばいいんだった」と思い直しました。頭ではわかっていても、咄嗟に「さぁ今、望め」と迫られたら、なかなかその「正答」を出すのは簡単ではないんだな、と思わされました。

そしてもう少し思いを巡らせてみましたら、僕は日頃、神様に対して「知恵と知識を与えてください」とはあまり祈っていないなと気づきました。「必要なものが与えられますように」とか「仕事がうまくいきますように」とか「あの人の病気が治りますように」とかは祈っても、「知恵と知識」を祈ることはほとんどありません。恥を忍んで白状しますが、本当にそうでした。それでその日から毎晩の祈りの時間に「知恵と知識」を祈ることにしました。

すると、驚くような知恵が日々与えられるようになりました。

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UnsplashAlex Shuteが撮影した写真

・・・なんて言えるとすごいのですけれど、幸か不幸かそのような劇的な展開には今のところ至っていません。しかしそれでも「知恵と知識が大切」という知恵はしっかりと身についたように思いますし、たとえば仕事の前に基礎的な知識をしっかりと見直しておくとか、知恵と知識を大切にする生活を送るように少しずつ自分が変えられた気はしています。そしてまた、それまでは知恵と知識は「自分で獲得するもの」と思っていたのが、「神様から与えられるもの」という認識に変わってきたことも感じています。これは地味なようでいてとても大きな変化だなー、なんて思っています。

箴言1章7節に「主を恐れることは知識の初め」とあるように、知恵と知識を求めるとき、自ずと神様への畏敬の念が湧き起こってきます。これは知恵と知識を「自分で獲得する」ときには起こらないことです。知恵と知識を「神様から与えられる」とき、神様への畏敬の念も生じ、それこそが本当の知恵と知識への道となるのだと思います。

日々、「知恵と知識」を祈ろうと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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