理不尽な『椅子取りゲーム』 〜優先席は誰のため?〜【聖書からよもやま話355】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヨハネの福音書の5章です。よろしくどうぞ。

ヨハネの福音書 5章7節

病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ある池の側に、38年も寝ている病人がいました。この池の水が動いた時に、真っ先にその池に入ると、どんな病気も治ると言われていたからでした。この病人は38年も、その癒しを期待していたのでした。しかし彼はその癒しを受けることができませんでした。本当に体が弱っていたので、池の水が動いた時に池に入ろうとしても、他の人がいつも彼よりも先に池に入ってしまうのでした。

こんなことって、現代社会でもありますよね。たとえば電車の『優先席』とか。体の弱い人のために用意された席なのに、体が弱い故に他の人に先にその席をとられてしまうようなことを、時々見かけます。

困った立場の人のための制度なのに、その制度を利用するためには役所に行って難しい書類を書かなきゃいけなかったりして、そもそもその制度についての情報が本当に困った立場の人に伝わっていなかったりして、結局、それほど困っていない人たちばかりがその制度の恩恵を受けてしまう、とか。

本当にお腹がすいて弱っている人は「ここに食べ物があるよ」と教えてもらっても、その場所まで行くことができなかったりもします。それで困っているうちに、それほどお腹の空いていない他の人たちが、その食べ物をみんな食べてしまいます。

こんな風に、困っている人のためのものを、本当に困っている人に届けることは実は意外と難しいものです。それほど困っていない人たちばかりが、その恩恵を奪っていってしまって、本当に困っている人にはなかなかその恩恵が届かないんです。僕たちの生きる社会には、そんな理不尽が溢れています。
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しかしイエス様はその病人をあっさりと治してしまいました。その病人を困らせていた人の世の理不尽をあっという間に解消してしまいました。イエス様が与えてくださる神様の愛や恩恵は、決して他の人に奪われることはありません。どんなに困った人のところにも、ちゃんと届きます。たとえ教会に行けなくても、聖書を読めなくても、求めるところにその愛はちゃんと届きます。

でもしかし、僕たちにはイエス様のようなことはできないにせよ、せめて電車の優先席で『椅子取りゲーム』をしないとか、そういう心がけはできます。あの『椅子取りゲーム』を見るたびに、人の罪の深さを見せつけられるようで、とても残念な気持ちになるんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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