主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、列王記第一の14章です。よろしくどうぞ。
列王記第一 14章6節
私はあなたに厳しいことを伝えなければなりません。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
誰かに厳しいことを伝えるのは、誰にとっても気が重いものです。しかし、だからと言って伝えないわけにはいきません。何かのチームから誰かを外さなければいけないとき、恋人に別れを告げなくてはいけないとき、重い病気を告知しなければいけないとき、様々なケースがありますが、気が重いからと言っていつまでも伝えないでいたら、最終的には相手も自分も、余計に苦しまなければいけないことになってしまいます。
このシーンで、預言者アヒヤは、ヤロブアム王の妻に「あなたたちの子どもは死んでしまうし、あなたたちも良い死に方をしないし、国もやがて滅びます」という、これ以上ないほどの「厳しいこと」を伝えなくてはいけませんでした。さぞ気が重かったことでしょう。王の妻はそれを聞いたら怒ったり取り乱したりするかもしれません。実際に彼女がどんな反応をしたかまでは聖書には書いてありませんが、いずれにせよアヒヤに課せられた使命がこの上なく気の重いものであったことは想像にかたくありません。もしかしたら「なんて不吉なことを言うんだ、こんな奴は殺してしまえ!」と処刑されてしまったかもしれないんですから、アヒヤが神様の命令に忠実であるためにとったリスクもまた、相当なものです。生半可な覚悟ではできません。
しかし預言者というのは誰しもそういう使命を帯びています。預言者とは「神様のことばを預かる者」ですから、神様から「これ、あいつに伝えておいてね。頼んだよ」と言われたら必ず伝えなくてはなりません。「え、神様それは気が重いから嫌です」なんて言ってはいけません。「え、神様それを言ったら酷い目にあうかもしれないから嫌です」とも言ってはいけません。ですから預言者というのは、現代社会で言えば中間管理職の方が上司と部下の板挟みで苦しむのと同じように、神様と人々との板挟みで苦しむことが多かったんです。相手が喜ぶようなことばかりを言って、それだけで務まるのであれば預言者は気楽な職業です。しかしそんな預言者は聖書で明らかに「偽預言者」だと言われています。「厳しいこと」を伝えるからこそ、預言者として神様に用いられるんです。
最近のSNSやニュースサイトのコメント欄なんかを見ていますと、「厳しいこと」を言われると怒って相手を攻撃する人が多いように思います。自分と違う意見が誰かによって表明されると「謝罪しろ!謹慎しろ!賠償しろ!」と、とことんまで相手を追い込もうとするような風潮が今の社会にはあります。いえ、たぶんこれはSNSができる前から、おそらく2500年前から変わらない人間の性質なんだと思います。僕だって「厳しいこと」を誰かに言われたら良い気はしません。怒りたくなりもしますし、実際に怒ってしまったことだってあります。その人を遠ざけたくなりもしますし、実際に遠ざけてしまったことだってあります。ですから僕だって人間のそういう性質を糾弾することなんてできません。
でもだからこそ、「厳しいこと」を言ってくれる方には、感謝しないといけないなと思うんです。だってそれを言うのは気が重かったはずですから。僕が怒り出して攻撃するかもしれないというリスクを冒してまで、僕のために言ってくださったんですから。僕の中にそういう方への理不尽な怒りの感情が湧けば湧くほど、そのリスクをとって下さったことへの感謝もまた、強くしなければいけないのでしょう。
現代社会もまた、「厳しいこと」や「違う意見」に対して、もっと寛容にだけではなく、むしろ感謝をもって接することが求められているように思います。その人はリスクを負って、あえてあなたにそれを言っているかもしれないんです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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