他人の成功を喜べる人になる方法【聖書からよもやま話337】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エレミヤ書の13章です。よろしくどうぞ。

エレミヤ書 13章21節

最も親しい友として、
あなたが教えてきた者たちが、
あなたの上に、かしらとして立てられるとき、
あなたは何と言うのか。
激しい痛みがあなたをとらえないだろうか。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

人の成功を素直に喜べる人はいい人です。わかっていても、それはなかなかできないことです。ましてかつての部下や後輩が自分の上司になった時、その昇進を心から喜べる人は本当にいい人なんだと思います。人間なかなかそんなに素直なものではありません。そんな時には心のどこかで「追い抜かれて悔しい」というような感情が頭をもたげるものです。

神様は言うことを聞かなかったイスラエルの民に、そんな思いをさせました。自分たちより下で、自分たちが彼らに教える立場なのだ、と思っていた他の民族に、彼らを支配させたんです。下だと思っていた存在に上に立たれること、これは今も昔も人間にとって耐え難いことなんです。

しかし、それを素直に喜べる人は幸いです。人の成功を喜べる人はきっとやがて自分も成功への道を見出せることでしょう。一方で人の成功を妬む人は、きっとやがて自分の成功への道も閉ざされてしまうかもしれません。
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かつての部下が上司になった時、素直に「おめでとう」と言える人なら、その新しい上司も「あなたにお世話になったおかげです」と感謝もしてくれるでしょうし、「信頼できる片腕」として扱ってくれるかもしれません。しかしそれを妬んだり、いつまでも先輩風を吹かせて威張るような人であれば、その新しい上司は「この人、わずらわしいな、めんどくさいな」と思って距離をとってしまうかもしれません。

人の成功を素直に喜ぶことは、自分の成功への道。頭では分かっていてもなかなかできることではありません。それが人間にとって難しいのであるということは、このように聖書に明らかに書いてあるんです。そのことこそが、聖書から僕たちに与えられている救いでもあります。だって「成功を妬んでしまうのは君だけじゃないんだよ、昔からみんなそうなんだよ」と言ってくれているんですから。さらには「それは誰にとっても難しい。でもだからこそ尊いんだよ」と言ってくれているんですから。

「よし、だったらそういう人になろう!」と思って努力しても、なかなかそうはなれません。そうではなくて「そういう人へと、私を変えてください」と祈ることが、そういう人になるための一番の道だと思います。人間が自力ではなかなか到達できない領域にも、神様は連れて行ってくれます。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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