主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヨハネの黙示録の12章です。よろしくどうぞ。
ヨハネの黙示録 12章17節
すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
黙示録は比喩表現が非常に多いので解釈の難しい書ですから、僕もあんまり深く踏み込んだことは言えませんが、ここで明らかに言われていることは竜、即ち悪魔はクリスチャンを完全に敵視して、戦いを挑んでくるということです。
クリスチャンは神様を信じますから、日々神様を意識した生活を送りますが、一方でこの悪魔に対しては意外と意識が薄い方も少なくないのではないでしょうか。かく言う僕自身も神様に対するのに比べて、悪魔に対する意識は低いと言わざるを得ません。しかし僕たちクリスチャンは神様を信じると心に決めて、それを口で告白した時に、神様を味方につけるのと同時に、悪魔を敵に回しているんです。
悪魔は人が救われないことを目的とします。「救われない道」から「救われる道」に人が移ること、それは悪魔からすれば裏切り行為にあたります。順調に自分の計画通りの「救われない道」を歩んでいた人が、「救われる道」へと方向転換するわけですから。そしてあろうことか、伝道という形で他の人をも「裏切り」に導こうとするわけですから。こう考えれば悪魔が他の人よりもクリスチャンを敵視するのは当然のことです。
ですから悪魔の攻撃は、ノンクリスチャンに対してよりも、クリスチャンに対しての方がずっと激しいんです。そのことをクリスチャンは決して忘れてはいけません。ましてクリスチャンの中でも牧師や伝道者など、特に働きの強い方は、特に悪魔の重点攻撃目標になるわけです。そして、そんな人が集まる教会もまた、他の場所よりもはるかに悪魔の攻撃を受けやすい場所です。
ですからクリスチャンは、他の人たちよりもずっと悪魔に対して敏感でいなければいけません。いつ何時、悪魔が攻撃して来るかわかりません。悪魔はいつもクリスチャンの隙を伺っているんです。「悪魔はわざわざ僕みたいな小さな者を攻撃しないだろう」なんて思っていてはいけないですし、「神様が守ってくださるから大丈夫」と油断していてもいけないんです。悪魔が僕たちクリスチャンに対していつでも臨戦態勢である以上、僕たちクリスチャンも悪魔に対していつでも臨戦態勢でいなければなりません。眠る時でも刀を傍から離さない、侍のような気構えでいなければなりません。
こちらから喧嘩を売らなければ悪魔は何もしてこない、なんてことはありません。悪魔はいつも先制攻撃のチャンスをうかがっています。彼らはクリスチャンが憎くて憎くて仕方ないんですから。日本では近頃、防衛力強化についてさかんに議論が交わされています。「こちらが平和主義を貫けば他国は攻めてこない」というのが本当かどうかはここで語るには場違いですが、悪魔はこちらが平和主義を貫いても必ず僕たちに攻撃を仕掛けてきます。それに対する防衛力は日頃から身につけておかなくてはいけません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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