鉄鍋は最高だけどサビたら大変。日頃の手入れが不可欠です。【聖書からよもやま話274】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、エゼキエル書の24章です。よろしくどうぞ。

エゼキエル書 24章3〜5節

鍋を火にかけよ。これを据え、水をこれに注ぎ入れよ。
これに肉片、ももと肩の良い肉片をみな一緒に入れ、
選り抜きの骨でこれを満たせ。
選り抜きの羊を取れ。
鍋の下には薪を積み、よく沸騰させて、
その中の骨も煮よ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

今日の晩ごはんはカレーでしょうか、シチューでしょうか。なんだかとてもおいしい料理のレシピのようにも見える文章です。しかし、この文章は実はおいしいレシピではなく、神様がエルサレムの人たちを叱っているんです。

エルサレムの街はちょうど鍋のような地形をしていたので、彼ら自身「この街は鍋で、僕たちはその肉だ」と言っていました。神様はそんな彼らに対して「この鍋はサビているから、いくらいいレシピを使っても、おいしい料理はできないよ」と言っているんです。「だから一度その鍋を強火で空焚きしてサビを落とさなくてはいけないよ」と教えているんです。
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僕はよく、南部鉄器の鍋を使います。ちゃんと手入れをしていれば、熱の回りもいいですし、鉄分が程よく料理に溶け出して身体にも良い、おいしい鍋料理ができます。でも手入れをしないとすぐにサビてしまいます。サビてしまうと、どんなにいい材料をそこに放り込んでもみんなサビ臭くなってしまっておいしくありません。そして、一度サビてしまうとちょっとやそっとの掃除ではそのサビは落ちません。一度空焚きをして熱くしてから冷たい水をジュワーーーーと入れてあげると、やっとサビが剥がれてきます。

サビていなければ、日頃の手入れは使った後にスポンジでこすって、水気をタオルペーパーで拭き取れば終わりです。でも一度サビてしまうと、空焚きをしてタワシでゴシゴシ・・・を何度も繰り返さなくてはいけません。人の心や信仰もまた同じようなもので、正しい習慣を保つよりも、一度崩れてしまった習慣を元に戻す方がはるかに大変なものです。

最終的にはサビた鍋に穴が空いてしまうように、人の習慣も心も再起不能に陥ってしまうかもしれません。エルサレムの街もそのサビによって再起不能になりバビロン捕囚という憂き目を味わうこととなりました。

これから夕飯に肉団子鍋を食べるのですが、食べ終わった後はちゃんと手入れをしようと思います。鍋の手入れも心の手入れも、日頃の心掛けが肝心です。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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