主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、 エレミヤ書の35章です。それではよろしくどうぞ。
◆エレミヤ書 35章14節
レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと子らに命じた命令は守られた。彼らは先祖の命令に聞き従ったので、今日まで飲んでいない。ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても、あなたがたはわたしに聞き従わなかった。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
レカブ人という人たちがいました。彼らは先祖の言いつけを守って、「酒を飲まない」「土地を所有しない」「テントで暮らす」などの生活を遵守していました。神様はイスラエルの民に「レカブ人に酒を勧めてみなさい」と言いました。それで酒を勧めてみると、彼らは「私たちは先祖の言いつけを守っていますから飲みません」と断りました。
レカブ人はイスラエルの民ではありません。つまり神様の民ではありません。しかし神様はイスラエルの民に彼らの姿勢をみせて「この人たちはちゃんと先祖の言いつけをこんなにも守っているのに、どうして君たちは私の言うことをこんなにも聞かないの!?」と叱ったんです。つまり「君たち、レカブ人のみんなを見倣ったらどうよ!!」と、彼らを一種のお手本として示したんです。そしてレカブ人を祝福しました。
もちろん神様はイスラエルの民に「全面的にレカブ人のように生きろ」と言ったわけではありませんし、必ずしも「お酒はダメ」と言ったわけでもありません。たとえばレカブ人はイスラエルの神様を信じてはいませんでしたから、神様もその点については肯定しませんし、「土地を所有しない」ということもイスラエルの民に対しては命じていません。しかし「言いつけを守る」という点において「彼らを見倣うべきだよ」と言っているんです。
現代のクリスチャンにも同じことが言えると思います。他の宗教を信じている人や無宗教の人がちゃんとできていることを、クリスチャンができていない、ということはないでしょうか。
僕の祖父はクリスチャンではありませんでしたが、毎日夕方6時になると不動明王様に熱心にお祈りしていました。一方、その孫の僕はクリスチャンであるのに、祖父のように毎日同じ時間にちゃんと祈るということができません。祈る対象が違うとは言え、祖父のその祈りの態度を僕はとても尊敬しています。「私を信じていない人でもちゃんとできることを、私を信じている君ができないんじゃ困るよ」と神様に言われている気持ちになります。
祈り以外のあらゆる面で、そういうことは多々あると思います。神様から「他のみんなができることを、どうして君たちクリスチャンができないの!?できるでしょ!!」と叱られたり励まされたり。クリスチャンはクリスチャン同士ばかりを見て、クリスチャン同士でばかり尊敬しあっているだけではいけないんだと思います。外側の世界をみて、クリスチャンじゃない方々からも、見倣うべきところは見倣うこと。これが大切なのだと思います。クリスチャンはついつい、自分のお手本とすべき相手をクリスチャンに限定してしまいがちですが、それはもったいないことです。神様はノンクリスチャンの方々を用いて僕たちを諭したり教えたりすることもあるんです。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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