──地域教会や指導者がトラウマ体験で苦しんでいる人に最適なかたちで寄り添うにはどうすればいいでしょうか。
教会は、トラウマとは何かについて学ぶ必要があります。また、教会内の傷ついた人たちを適切にケアする方策を持つことが必要です。あなたが教会のリーダーで、もし傷ついた人があなたのところに来たら、「あなたの言うことを信じますよ」、「勇気を出して話してくれてありがとう」と答えてください。否定したり、恥ずかしく思わせたり、聞く自分が気詰まりだからといって、その人の痛みを矮小化したりすることなく、その人をそのまま受け入れることが大切です。私たちの言葉には、人を生かしも殺しもする力があります。言葉でその人の回復を妨げることも、助けることもできるのです。
──イエスの受肉と生涯について、トラウマを体験した人に何を知ってほしいですか。
イエス、主なる神は、あなたの痛みを分かってくださいます。このことを聖書は思い起こさせてくれます。あなたの話している相手が信仰者ならば、「私たちの主は私たちの弱さに共感できないような大祭司ではない」(ヘブライ4:15参照)という真実を互いに忘れないようにしなければなりません。苦しみの中にあると、「主はどこにおられるのか。主を感じることができない。主は私から去っていかれたのか」と思ってしまうことがあるからです。けれども、主はおられます。あなたの苦しみの中に共におられるのです。主は痛みや苦しみを実際に体験されたのですから、それがどのようなものか、よくご存じなのです。
ノンクリスチャンにも同じことが言えます。その人たちはそうは信じないかもしれませんが、信仰のあるなしにかかわらず、主は悲嘆に暮れる人のすぐ近くにおられるのです。主はノンクリスチャンに対しても、苦しみを用いてご自身の姿を明らかにされることがあります。
──聖書に基づく、キリストを中心にした「トラウマの神学」とは、ホプソンさんにとってどのようなものでしょうか。
私たちが経験していることは、堕落して乱れてしまったこの世の証拠にほかなりません。けれども私たちには、「主は私たちを理解してくださる」という希望があります。しかも主は、「試練、悲しみ、苦しみは必ずあるものだ」とおっしゃっています。主は私たちと共におられ、去っていかれることはありません。私がクライアントに伝えることは、「途方もない痛みや苦しみを味わっていたとしても、主はあなたと共におられ、その痛みの中でもあなたを見ておられる」ということです。なぜなら、御言葉にこう書いてあるのですから。「(主は)あなたを見放すことも、見捨てることもない」(ヨシュア1:5)
モーガン・リー
本記事は「クリスチャニティー・トゥデイ」(米国)より翻訳、転載しました。