──トラウマを「克服する」という言葉をお使いになりますか。もっと適切な言い方があるなら、それはどのようなものでしょうか。

私は「回復する」という言葉を使います。トラウマからの回復には、「よし、これで癒やされた。完了。おしまい」というセットポイントがあるわけではないからです。「過去のトラウマ」などといいますが、その記憶そのものが消えるわけではありません。記憶自体は残っているのです。ある特定のことが引き金となり、体験したことの記憶がよみがえるように、主は私たちの脳を創造されました。

「回復」とは、次のような状態です。「苦痛な記憶があっても、それに完全に打ちのめされてしまわないように、(その全部ではないにしろ少なくとも)一部をコントロールして引き金を引かないようにすることが今ではできるようになったかもしれない」

治療にいらっしゃる方の多くは、完全に打ちのめされています。パニックの発作や悪夢に悩まされ、体験したことに爆発するような怒りで反応しています。つらさや憤りの感情で苦しんでいるのです。あらゆることがこうした感情の引き金になり、悪循環を止めることができなくなっています。私の仕事は、トラウマがどのようなものかをこうした方々に教えることです。そして、ご自分が体験したことがトラウマ体験であることを理解し、自己認識を深めていただくことです。治療で目指すゴールは、引き金の影響を弱めたり減らしたりして、配偶者や子どもとの関係を改善することなのです。

──つまりゴールは、負の感情を遮断することではないのですね。

そのとおりです。段階的に縮小していく、ということです。このためには、自己を認識し、当事者として継続してしっかりと問題に取り組むことが必要です。過去のつらい体験に向き合うわけですから、勇気も必要になります。

──トラウマ体験の被害者はしばしば、家族やその友人など、ごく身近な人から虐待を受けています。そのため被害者は、加害者をただちに赦(ゆる)さなければならないというプレッシャーを感じることがあります。キリスト教的な視点を持ったカウンセラーとして、被害者の回復の過程のどこに「赦し」が入ってくるとお考えですか。

聖書全体を通して、「私たちが赦されたように他者を赦すように」と主は諭しておられます。けれども、この概念を簡単に虐待の被害者に適用することはしていません。安直に赦しを求めてしまうと、サバイバーが感じている痛みを無視し、結果、その人を否定することになってしまいます。

目指すべきなのは、その人の心に寄り添い、優しく接することです。ふさわしい対応としては次のようなものがあるでしょう。「お話を聞いていますよ。どんなに苦しい体験だったことでしょう。お話を伺って私もつらいです。心の痛みに対処する過程のどのあたりに今おられますか。起こったことを受け入れ、それを主の前に差し出せるところまで来ておられますか。あなたを傷つけた人は主の前に罪を犯したということをご存じですね。主にあなたの痛みを取り去っていただくことはできますか」

赦しは選択肢の一つです。けれども赦しは、聖霊による超自然的な心の変化です。赦すこととは、問題に対して「私の意志ではなく、主よ、みこころがなりますように」と反応できるようになるということです。「復讐したい。あいつらが苦しむのを見たい」と思う気持ちから、「主よ、あなたに委(ゆだ)ねます。私の痛みと苦悩を取り去り、自由にしてください。みこころがなりますように」と祈る気持ちへと移行するということです。赦すとは、そのことによって、「自分に対してなされた行為自体を赦したり、それが引き起こした害を矮小化(わいしょうか)したりするものではない」ことを理解しつつも、それを十字架のもとに置くことを選ぶということなのです。

いずれにせよ、虐待の被害者が加害者を赦すということに関しては、あくまでも思いやりをもって取り扱う必要があります。もちろん、聖書の内容に関して妥協するということではありませんが、無責任に赦すことを求めることは控えなければなりません。(次ページに続く)

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「クリスチャニティー・トゥデイ」(Christianity Today)は、1956年に伝道者ビリー・グラハムと編集長カール・ヘンリーにより創刊された、クリスチャンのための定期刊行物。96年、ウェブサイトが開設されて記事掲載が始められた。雑誌は今、500万以上のクリスチャン指導者に毎月届けられ、オンラインの購読者は1000万に上る。

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