世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が主催する新春学習会「Withコロナを生きぬく慈しみの実践」が25日、オンラインで開催された。約200人が参加し、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)によってさらに深刻な問題を抱えることになった社会の中で、宗教者たちに求められている行動とは何かを学んだ。
世界の諸宗教のネットワークを活用し、国際協調、核兵器廃絶、軍縮、環境問題などに積極的に取り組むWCRPは、今年で創設50周年を迎える。今回はこれを記念したシンポジウムで、共同通信編集委員・論説委員の太田昌克(おおた・まさかつ)さん、NPO法人ほうぼく一抱樸理事長の奥田知志(おくだ・ともし)さんの2人を基調発題者として迎えた。また、その後行われたパネルディスカッションでは、日越ともいき支援会代表の吉水慈豊(よしみず・じほう)さん、公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会タンザニア派遣ワーカー・助産師の雨宮春子(あめみや・はるこ)さんがパネリストとして参加した。
基調発題者の一人である奥田さんは、3400人以上のホームレスの自立を支援するNPO法人ほうぼくの理事長であると同時に、東八幡キリスト教会(北九州市)の牧師。この日は、「コロナ禍における宗教者の実践」というテーマで語った。
コロナ禍の中で自殺者が急増する中、コロナウイルス感染による重篤化を止めるのは医師など特別な資格が必要だが、コロナウイルスの影響を含めた自殺者は、その気になれば誰でも一助になれると話す。その時に必要なのが、気づき、聴く、つなぐ、繋がる(見守り)ことで、こういう視点に立った時、宗教にできることはたくさんあるはずだと話す。
そして、孤立して、生きる力を失っている人たちへの支援の方法として、問題を解決することを目的とする「問題解決型支援」と、つながることが目的の「伴走型支援」を紹介した。これらをキリスト教の救済論に照らし合わせ、従来の救済論──「奇跡的救済論」「贖罪論」が問題解決型支援であるのに対し、伴走型支援は「インマヌエル(神我らと共にいます)」という新しい枠組みだと言う。
クリスマスの記事で、イエス・キリストが生まれた時に最初に語られたのは、奇跡的な救済でも、十字架の罪のあがないでもなく、「インヌマエル=神我らと共にいます」だったと伝え、聖書は、「一緒にいる」ということが救済だと言っているのではないかと話す。そのうえで、このことを証し、この世の中に示していくことが、教会の役割であり、本気で自殺を止めることにつながるのではないかと訴えた。
続いて、コロナ禍の中で考えたこととして3つのことを話した。1つ目は、人に助けてもらいながら生きるのが人間で、宗教は弱さの承認であること。神様・仏様に助けてもらわないと生きていけないことが分かっているのが宗教者だという。2つ目は、コロナ禍の中では、全員が当事者であること。ここでは、「私(たち)だけ」という考えは通用しない。3つ目は、命が優先であるということ。「無くてはならならぬものは多くない。いや、一つだけである」(ルカ10:38~42)を引用し、宗教者は一人一人の命とどう向き合っていくのかを問いかけ、東八幡キリスト教会で掲げている言葉、『神様はどうでもいい命を作るほどお暇ではない』を紹介して締めくくった。
もう一人の基調発題者である太田さんのテーマは、「核なき世界とアメリカ、そして日本」。太田さんは、核問題に関する国際報道で2006年度ボーン・ 上田記念国際記者賞、日米核密約に関する調査報道で2009年度平和・協同ジャーナ リスト基金賞(大賞)を受賞するなど、ジャーナリストとして核問題に長く取り組んできた。この日も22日に国連で発効された核兵器禁止条約を受け、戦後から現在まで日本政府が核をどう取り扱ってきたのかを、日米の関係から探り、被爆国として今後どのような方向に進むべきかを語った。
核兵器禁止条約は、核兵器に非道徳的な許されない兵器であるという汚名を着せ、誰もが使えない規範を作っていくという条約だと力を込める太田さん。そのうえで、アメリカの「核の傘」に過剰依存している日本政府が、同条約の趣旨を自分のものとし、将来的に平和と安全を担保していくのに必要な仕掛けであるということを認識し、この条約に対する日本の態度を変えていかなければならないと訴えた。今後、同条約に少なくともオブザーバー参加し、将来的には参加することを菅総理には内外に表明して欲しいと期待を込めた。