中島みゆきの祖父、中島武市(ぶいち)は北海道帯広の名士だが、その帯広の「女性入植者のさきがけ」と呼ばれているのがクリスチャンの渡辺カネ(1859~1945年)だ。
浦幌(うらほろ)町立博物館(北海道十勝郡)は昨年12月末、渡辺カネに関する未公開資料9点を、夜学講座「道東におけるキリスト教会の形成史」などで初公開した。カネが横浜で入手した英語と日本語の聖書や、北海道で長く伝道して帰国した米国人宣教師ジョージ・ピアソンからのクリスマス・カードなどだ。
こうした資料は渡辺家から帯広百年記念館(帯広市)に寄贈されたもの。これまでに、カネの孫で郷土史家の渡辺洪氏らが目録の整備などに努めてきたが、キリスト教史の観点から詳しく調査されたことはなかった。今回、浦幌町立博物館学芸員の持田誠さん(カトリック釧路教会員)がこれらを借り受けて調べることになった。
カネの父親は信濃国上田藩の藩士だったが、藩主の弟、松平忠孝がキリスト教信仰を持っていることを知り、米国長老教会の宣教師ディビッド・タムソンから兄・鈴木銃太郎(じゅうたろう)と共に洗礼を受ける。カネも横浜共立女学校に入学し、1876年、日本基督公会(現在の日本キリスト教会・横浜海岸教会)で受洗。
アメリカ・オランダ改革派教会のS・R・ブラウンが設立したブラウン塾(現在の東京神学大学)で学んでいた兄の銃太郎は、その後、北海道開拓を目的とする晩成社を始めた依田勉三(よだ・べんぞう)や渡辺勝(まさる)と知り合い、そこに参加することに。
カネも渡辺と結婚し、1883年に帯広の開墾地に渡った。開拓のかたわら、近所の開拓者やアイヌ民族の子どもに読み書きを教えた。
当初、カネは夫の勝と共に、週に1度、キリスト教の集会を自宅で開いて聖書の輪読などを行っており、そこには宣教師らがたびたび訪れていた。その中にピアソン夫妻もおり、帰国後もカネを励ます手紙を送っていたのだ。夫の勝や兄の銃太郎はその後、キリスト教から離れてしまうが、カネだけは終生、信仰を持ち続けた。
今回の資料は、従来あまり顧みられることのなかった十勝開拓におけるキリスト者の足跡を示す証しとして重要な意義を持つものであり、今後、さらに詳細な研究が待たれる。