その週の土曜日の午後に志信は自宅に紘子を招いた。
人目を気にせず、ゆっくりと語り合わねばならないと思ったので、ふみに事情を伝え、当日は家にいてもらうことにした。
その日は朝から冷たい雨が降りしきっていた。昼間なのに家の中も夕方のように暗い。ふみは応接間の明かりを点(つ)け、暖炉(だんろ)の火をおこしておいた。
紘子は約束の時間より少し遅れてやってきた。
「遅くなってしまって、申し訳ありません。タクシーで道が混んでいまして……」
「足元の悪い中を……。さあ、どうぞ、お上がりください」
紘子を応接間に案内し、志信を呼びにふみは2階に上がっていった。
雨音が家中に深々(しんしん)と響いていた。
志信が応接間に入り、紘子とソファーで向かい合っていると、ふみがお茶を運んできた。
「どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
部屋を出ていくふみの後ろ姿を紘子は見送った。
「桐原さんにはお子さんがおられませんでしたね」
「はい」
「お寂しいでしょう?」
「いや、特には……」
「でも奥様は? 奥様はお寂しいんじゃありません?」
「どうでしょうか。尋ねたこともありませんし……」
紘子は眼を伏せて、言い訳をするようにいった。
「すみません。立ち入ったことを……。幸せなんて、人それぞれですのに。それに、人の幸せや不幸せは、外からではわかりませんわ。うちだって……。滝江田は、一人息子の勲を大変に可愛がっておりました。皆さん、ご存じですよね、滝江田の子煩悩(こぼんのう)は有名でしたから。でも勲は、滝江田の子供ではありませんの」
志信は不審な眼を紘子に向けた。
「これが、電話でお話しした、わたくしが桐原さんに聞いていただきたかったことです」
紘子を凝視しているうちに、言葉の意味がようやく志信に理解されてきた。
「滝江田はそのことを……?」
「滝江田には秘密にしておりました。勲の父親が誰であるかは、申し上げることができませんが、桐原さんのご存じない方です。その方自身も勲の父親が自分であるとは知りません。今ではまったくおつきあいのない方です。けれど、滝江田の死後、わたくしは、もしかしたら滝江田はそのことを知っていたのではないかと、疑うようになったんです」(つづく)