東京基督教大学(TCU、千葉県印西市)は10月30日、創立記念礼拝・講演をTCUチャペルで開催した。在学生、教職員、同窓生など250人が集まった。
TCUは、福音派の諸教会を背景とする日本で唯一の4年制神学大学。前身である東京基督教短期大学・東京基督神学校・共立女子聖書学院の合同を経て、東京・国立市から現在地に移転し、大学として新設されてから来年で創立30周年を迎える。
まず東京キリスト教学園理事長の廣瀬薫(ひろせ・かおる)氏が、「30年の感謝、40年への道」と題してメッセージを語った。
ちょうど30年前、東京基督神学校在学中に印西市に移転したため、廣瀬氏は両方のキャンパスで1年ずつ過ごしているという。国立市での最後のシオン祭の思い出などを振り返りながら、「TCUは、信仰を同じくする素晴らしい先生と学生が共に過ごす学び舎(や)です」と力を込め、次のように語った。
「16歳のスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんは、『これからの10年が本当に大切な時期で、ここで方向転換ができないなら、人類にとって後戻りできないリスクがある』と述べています。このような危機感はTCUにも当てはまります。10年後にはTCUも40周年となるわけですが、『40』は聖書の中で特別な数字です。その時に私たちは、危機の時代を誠実に乗り越えたといえるでしょうか。すでに大学改革は動いています。40周年のとき、『あの30周年の節目に、正しく取り組んでくれたことに感謝しよう』と思われるよう、一人ひとりが神の使命を忠実に守り、これからの大切な10年を共に歩み、誠実に取り組んでいきましょう」
続いて、丸山忠孝(まるやま・ただたか)氏が「時と永遠──キリスト者の終末的生き方の観点から」と題して創立記念講演を行った。丸山氏は、東京基督神学校の校長や東京基督教短期大学の学長を歴任し、三神学校合同による東京キリスト教学園の設立とTCUの開学を成し遂げ、TCUの初代学長を務めた。
「聖書学者のオスカー・クルマンは、『時』に生きるキリスト者にとって『永遠』はすでに始まってはいるものの、キリストの再臨まではいまだ完成しないという歴史性を唱えました。一方、宗教哲学者の波多野精一(はたの・せいいち)は、『時』に生きる主体の宗教的経験を起点として哲学し、『永遠』および『将来』の確実・必然性を強調しました。この二人の『時と永遠論』は、21世紀の日本のキリスト教や教会、神学および神学教育機関、キリスト者に何を訴えるのでしょうか。
また丸山眞男(まるやま・まさお)は、『人間は1回限りこの世に生まれ、神の永遠の計画に参加するという意味で、瞬間瞬間に永遠が宿っている』と、キリスト教の『時』理解を捉えました。これに反して日本の原型的思考は、永遠と現在とは同一次元にあるというように二つを対比しています。つまり、現在中心主義が日本の基調なのです。
この現実をキリスト者はどのように受け止め、それに対応するかは、その終末的生き方の課題となります。終末に生きるキリスト者にとって最後に問われるのが、永遠に直面して歩むことです」
そのモチーフの一つとして、元明治学院院長の中山弘正(なかやま・ひろまさ)氏の『世界に平和を──小さな自分史』の巻末に収録された資料「明治学院の戦争責任・戦後責任」(1995年)を紹介した。これは、明治学院が戦前の軍事体制下で犯した罪を神に告白し、日本が侵攻したアジア諸国に謝罪して、その観点から学院史の出来事を記したものだ。
丸山氏は次のように講演を締めくくった。
「この本で特に印象深いのは、最終部で引用されている聖書の言葉、『汝(なんぢ)らは生命(いのち)の言(ことば)を保ちて、世の光のごとく此(こ)の時代に輝く』(ピリピ2:15、文語訳)です。ここに、永遠に直面して歩むべき大学・キリスト者のあり方が垣間見えます。1990年創立の東京基督教大学に明治学院のような過去はないとしても、その『過去』が『現在』となる時代の到来はありえましょう。永遠に直面して、世の光のごとく輝く使命は、日本にある大学として、東京基督教大学も共有するものではないでしょうか」